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MEJE PROCESS · MEJE キャラクター創作ワークフロー (14 章)

第1章.十分に呼吸する存在:キャラクターを一人の人間として、そしてプロデューサーとは誰か

MEJE Works · 章 1

第1章.十分に呼吸する存在:キャラクターを一人の人間として、そしてプロデューサーとは誰か

あなたが長く好きだったキャラクターを一人、しばらく思い浮かべてみてください。ある本の主人公かもしれません。映画やドラマの人物かもしれません。長く楽しんだゲームのNPC(Non-Player Characterの略で、プレイヤーが直接操作せず、システムが動かす登場人物です。店主、道を教える通行人、そばに付き従う仲間のように、世界を満たす人物たちです。よく作られたNPC一人が主人公より長く記憶に残ることもあります)かもしれません。たまに読んだ漫画の端役かもしれません。一人だけ選んでください。

選んだら、もう一つ思い出してみましょう。その人物が作中のある一場面で行った小さな行動です。ふと止まり、写真に撮られるように手を上げて髪を整えた動き。誰かが何気なく声をかけたとき、答える前に二拍ぶん沈黙した姿。雨の通りで、とても慣れた手つきで傘を開いた様子。作者がその人物を作る際に、それほど長く考えなかったかもしれない小さな癖一つで十分です。

そうした小さな癖一つが、人物全体を生き返らせた例は数え切れません。

  • 『ノーカントリー』のアントン・シガーは、人を傷つける前に硬貨を投げ、「コールしろ(call it)」と言って相手に表か裏かを選ばせます。運命を一枚の硬貨に預けるその行動と音だけで、人物の冷たさが完成します。(コーマック・マッカーシー原作、コーエン兄弟映画)
  • 『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジは、世界が怖いとき、古いカセットプレーヤーで同じトラックを何度も繰り返して聴きます。逃げ出したい少年の気持ちは、ほとんど動かないその指の癖にすべて込められています。
  • 『ゴッドファーザー』のヴィトー・コルレオーネは、死の直前、孫と庭で遊びながらオレンジの皮を歯に挟み、怪物の真似をします。一生人を傷つけてきた老人が最後に見せるこの一つの冗談が、彼を一人の祖父へ戻します。(フランシス・フォード・コッポラ)
  • 『パラサイト 半地下の家族』のギテクは、一言もなくても身に染みついた半地下の匂いで身分を露わにします。パク社長が無意識に鼻を覆うその瞬間、二つの世界の距離が台詞なしに測られます。(ポン・ジュノ)
  • 『SHERLOCK』のシャーロック・ホームズは、推理が詰まると両手のひらを合わせて唇に当てます。頭の中の図書館を探している合図です。
  • この点をさらに鋭く示す例が、ジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』のアメリです。穀物袋に手を深く埋め、クレーム・ブリュレの表面をスプーンで軽く割り、運河で水切りをする、ささやかな感覚の習慣。大仰な来歴がなくとも、「小さな喜びのリスト」そのものが一人の人間になります。

私は時々、そんな瞬間を見つめていると不思議な気分になります。その人物は、確かに誰かが作った人物です。紙の上に書かれ、画面の中に描かれ、モニターの向こうにデータとして存在する、明らかに虚構の存在です。けれど小さな癖一つが、彼が本当にどこかで暮らしているような感覚を与えます。本を閉じ、画面を消した後にも、どこかで同じように手を上げて髪を整え、同じように二拍黙ってから答え、同じように傘を開いている気がするのです。

演技にも同じ原理が使われます。俳優が人物に固有の手癖や歩き方を与える仕事を「ビジネス(business)」と呼びます。ダスティン・ホフマンが『レインマン』で見せた反復行動、ヒース・レジャーが『ダークナイト』のジョーカーに与えた、舌で唇をなめる癖がその例です。漫画では、これをキャラクターのシグネチャーポーズや口癖として固めます。媒体は違っても、「小さな動作に人物を乗せる」という発想は同じです。

本書は、その感覚がどう作られるかについての文章です。十四章にわたり、一人のキャラクターがゼロから一人の人物として定着するまでの作業を、一段階ずつ解きほぐしていきます。第一章の今日は、この作業に入る際に私たちが持ち込む姿勢、その姿勢を持つ人が誰で、誰と働くのかを整理しておきます。

クローズアップ・ジム・ジャームッシュ『パターソン』のパターソン ニュージャージーのバス運転手パターソンには、これといった事件がありません。毎日同じ時刻に起きてシリアルを食べ、同じ路線を運転し、昼休みにこっそり詩を書き、夜には犬を散歩させ、いつものバーでビールを一杯飲みます。映画は、この繰り返される小さな習慣だけで、一人の内面全体を描き出します。事件が人物を作るのではなく、毎日のささやかな質感が人物を生かすという本章の命題を、最も静かに正確に示す一本です。

キャラクターはデータではありません

この仕事を初めて始める人がしばしば持ってくる形式があります。キャラクターシートという名の、名前・年齢・性別・身長・体重・外見・趣味・特技・トラウマといった欄がある一枚の表です。表を埋めるとキャラクターが作られたような印象を与え、欄がすべて黒くなると一人が完成したように見えます。

キャラクターシートの一行をはるかに越えた人物たちを思い出してみましょう。ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンは、最初は「パンを盗み、十九年を過ごした前科者24601番」という冷たいデータにすぎません。しかし、銀の燭台を盗んだ彼をかえって許す司教の前で、その番号は一人の生涯へ膨らみます。同じ作品のジャヴェールは、「法こそ正義」という一行の信念が、その信念が崩れる瞬間に川へ身を投げる悲劇まで育った人物です。能力値表のどこにも「セーヌ川」という欄はありません。

私たちがその形式を使わないという意味ではありません。私たちも似た形式を使います。ただし、その表がキャラクターを作るとは考えません。表はキャラクターが作られた後に彼を整理しておく場所であり、作る作業は表を埋めることとは別の領域で起こります。

同じ表を二人がまったく同じように埋めても、一方からは生きた人物が現れ、他方からは紙人形が現れることがよくあります。表が同じなら情報量も同じです。欄を埋めた単語の数も似ています。それでも一方は生き、他方はそうではありません。その差がどこから来るのかを問い始めると、表の形式がキャラクターを作るのではないという事実に行き着きます。

同じ台本を受け取った二人の俳優が、まったく違う人物を作り出すのと同じ理屈です。演劇と映画の演技論では、台本は出発点にすぎず、人物は台詞の下に横たわる本心、すなわち「サブテキスト」から生まれると考えます。TRPGのキャラクターシートや漫画のキャラクター設定集も、完成した人物ではなく人物を書き留める器です。器が同じでも、入る人は異なります。

私たちはキャラクターを一人の人間として扱います。データの束ではなく、十分に生きて動く存在として置いて作業します。その姿勢が表をどう埋めるかを決めます。同じ欄の横に同じ単語が入っても、その単語を置く手つきが一人の人間の比重を意識しているかどうかで、結果は分かれます。

この比重を意識する姿勢、キャラクターを一人の人間として扱う姿勢が、本講義の第一の柱です。

怒りではなく愛情で

私はキャラクターを作るとき、あらかじめ一つ決めておきます。この作業の動力に何を使うか。怒りで書くのか、愛情で書くのか。

憎みきれない悪役は、ほとんど例外なく愛情で造形されています。

  • 『もののけ姫』のエボシ御前は、森を焼く張本人である一方、ハンセン病患者や行き場のない女たちを引き取り、食べさせる指導者でもあります。宮崎駿は彼女を「間違った人」ではなく、「別の正義を持つ人」として描きます。
  • 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のサノスは宇宙の半分を消そうとしますが、本人はそれを慈悲だと信じています。指を鳴らす直前の疲れた表情には、作者が彼に与えた信念の重みが乗っています。
  • 『ズートピア』のベルウェザー副市長は、いつも小さく、軽んじられてきた羊だからこそ、権力を握った瞬間に最も歪んだ方法で返そうとしたのでしょう。悪意の根には、劣等感という人間的な動機があります。
  • 『アナと雪の女王』のエルサは、企画初期には悪役でした。制作陣が「この子はなぜ氷を使うのか」と最後まで問い続けた結果、悪党になりかけた人物が主人公へ変わりました。

怒りは速いものです。誰かへの怒り、社会への怒り、自分自身への怒りは、短時間で強い文章を吐き出します。そうした文章は、最初に読んだとき、読む人の胸を一気に打ちます。しかし怒りは揮発性が強い。数日経つと冷め、冷めた怒りだけではキャラクターを最後まで連れていくのが難しくなります。一人の人物の一場面を怒りで書くことはできますが、その人物の一生を怒りだけで造形すると、その人物は数日しか持たない人物になります。次の本へ進むと、彼がどんな人だったか思い出しにくくなります。

愛情は遅いものです。一人の人物への愛情を育てるには、その人がどんな人かを真剣に見つめ、小さな癖、ささいな矛盾、傷までを見なければなりません。時間がかかります。しかしそう育てた愛情は長く続き、その人物を次の本、次の話、次のシーズンまで連れていけます。作者が机を離れてずっと後にも、彼がどこかで生きていると感じられます。

演技論にも同じ原則があります。俳優の間には、「自分を悪党だと思っている人物はいない」という言葉があります。コンスタンチン・スタニスラフスキー以来の演技訓練は、悪役を演じるときでさえ、その人物の立場から正当性を見つけるよう教えます。作者が愛情の場所に立つとは、俳優が自分の役を弁護するように、人物の内側へ入ることです。

私たちは最初から愛情で始めることを勧めます。怒りで始めても、いつかは愛情へ移らなければ人物は生き残れません。ならば最初から愛情の場所に立って作業する方が効率的です。家族・恋人・友人を見つめてきたその姿勢のままキャラクターを見つめ、彼が何を好むか、何の前で小さくなるか、どこで安らぐかを真剣に問います。

この姿勢は、作業中に生じる細かな葛藤、すなわちこのキャラクターのどの面を生かし、どの面を削るか、どんな決断をさせるかへの答えを決めます。愛情の場所では、削られる部分にも削られる理由があります。しかし怒りの場所では、削る行為が懲罰のようになり、二つの作業の成果は微妙に異なります。十四章の講義を通じて、私たちは愛情の場所に立ってキャラクターを見つめます。

平たく始めて、膨らませます

この姿勢を持つ人も、最初は困惑します。一人の人物を立体的にしたいのに、最初から立体的な人物を描こうとすると、頭が止まってしまうのです。

『千と千尋の神隠し』の千尋は、映画の最初の場面では後部座席にだらりと伸び、口を尖らせる、ごく普通の少女です。一語に縮めれば「怖がりの不平屋」に近い子です。そんな子が親が豚になる事件を経験し、一層ずつ強くなり、最後には巨大な湯屋で自分の役目を果たす人物になります。宮崎駿は初めから英雄を描きませんでした。平たい一語に、ため息を一つずつ吹き込んで育てただけです。

私たちは逆にします。最初は意図的にキャラクターを平たくし、一語に圧縮します。理想主義者、冷淡な生存者、静かな証人といった一行の命名です。その一語だけでは彼がどんな人か半分も見えません。意図的にそうします。

次に、その一語の上へ肉を付けます。彼が誰を愛したか、何を後悔しているか、自分のどの部分を最も憎むか、眠る前に最後に何をするかを、一行ずつ加えていきます。一語が一段落になり、一段落が一ページになり、一ページが一人の人物のある時期になります。

初めから丸い風船を描こうとせず、しぼんだ風船へため息を一つずつ吹き込みます。風船の形は、吹き込むため息の質感によって決まります。どちら側へ多く膨らみ、どちら側へ少なく膨らむかが、一人の人間の質感を作ります。

他の創作分野も同じ順序で働きます。絵は精密描写に先立ち、大きな塊とシルエットを取るラフスケッチから始まり、彫刻は大きな形を削ってから細部へ入ります。小説作法では、一文のログラインからシノプシス、トリートメント、初稿へと徐々に肉を付けます。最初から完成したディテールを描こうとしない点が共通しています。ディテールは骨格が立ってから載せるものです。

この往復が本作業の本質です。一度平たくしてから一度膨らませ、また別の部分で一度平たくしてから一度膨らませます。十四章の講義が終わるまで、この往復は繰り返されます。一人の人物をゼロから造形する作業は、この往復の累積です。

初めてキャラクターを作った人から最もよく聞く困惑は、「どこから始めればいいか分からない」です。その困惑の正体は、最初から立体的な人物を描こうとすることです。立体は手でつかめませんが、一語の命名は手でつかめます。手でつかめるものから始めることが、本作業の最初の動作です。

間違った方向を出し続けなさい

一つ、あらかじめ申し上げることがあります。キャラクターを造形する人は、そのキャラクターに良いことが起きてほしいと願いがちです。彼が幸せであってほしい、彼の愛がかなってほしい、彼の努力が報われてほしい。自分の手で作った人物なのですから、当然の気持ちです。

しかし、その気持ちが強いほど人物は平板になります。幸せなだけの人物は変わらず、変わらない人物はもはや生きて動きません。一人の人物が生きて動くには変化が必要で、変化には葛藤が必要で、葛藤には彼が望むものが阻まれる必要があります。

物語理論は一つの声で同じことを語ります。ロバート・マッキーは『ストーリー』で、人物の真の性格は圧力の下で下す選択にしか現れないと言い、ジョン・トルービーは強い敵対者こそ主人公を成長させる道具だと見ました。ゲームデザインの難易度曲線、三幕構成の第二幕に試練を集中させる慣習も、すべて「人物に絶えず障害を与える」という一つの原理を共有します。

私たちはこの仕事を逆に表現します。キャラクターに間違った方向を出し続けなさい。 彼が行きたい道を塞ぎ、彼が信じる嘘を壊し、彼が最も失うことを恐れるものを脅かします。そうして初めて、彼が決断しなければならない瞬間が生まれ、その決断の瞬間に本当の姿が現れます。

望むものが阻まれる瞬間、人物の本当の顔が出ます。

  • 『トイ・ストーリー』のウッディは、自分の居場所を奪われることを最も恐れるため、新しいおもちゃのバズが現れると、狭量な嫉妬と嘘で反応します。その狭量さがかえってウッディを愛らしくします。
  • ハムレットは「復讐せよ」という課題の前で剣を抜く代わりに、果てしなくためらい、自問します。その遅延こそがハムレットという人物そのものです。(シェイクスピア)
  • 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のフュリオサは、帰る故郷がすでに消えているという真実の前で、座り込む代わりに方向を引き返し、戦うことを選びます。絶望を決断へ変えるその一場面が、人物の背骨になります。
  • 『ハウルの動く城』のソフィーは、呪いで突然老人になったからこそ、若いころにはできなかった大胆な言葉と行動をためらいなくします。制約が人を解放する逆説です。
  • 同じ命題をさらに明瞭に示す例として、イ・ヘジュン『彼とわたしの漂流日記』のキム氏がいます。自殺を試みて漢江の栗島に流れ着いた彼は、都市の真ん中の無人島という荒唐無稽な制約に閉じ込められて初めて生き始めます。ジャージャー麺を一杯、自分で作るという一念が、無気力だった男をまったく別の人へ変えます。

彼を愛しているからこそ、わざと困難へ落とします。矛盾に聞こえますが、キャラクターを造形する仕事ではこれが日常です。この姿勢なしには、一人の人物は十四章のあいだ生き残れません。

キャラクターの欠点を意図的に大きくする仕事、キャラクターのトラウマを意図的に掘り起こす仕事、キャラクターに最も近い人を意図的に脅威の上へ置く仕事。こうした仕事が本講義第7・8・9章の中心にあります。その章で私たちは、心の弱い姿勢だけではキャラクターを造形できない事実を詳しく見つめます。今日は、その段階がすぐ来るという予告だけ置いておきます。

ここまでが、私たちがこの仕事に入るとき持ち込む姿勢です。次節からは、この姿勢を持つ人が誰で、その人が誰と働くのかについての話です。

作家ではなくプロデューサー

呼称を決めるとき、私たちが一度別に考えた部分があります。私たちが教える仕事を誰に教えるのか。出会いたい読者を何と呼ぶのか。

『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』:1974年に登場した代表的なテーブルトーク・ロールプレイングゲーム(TRPG)です。紙のシートとサイコロを置き、参加者がそれぞれ担当する人物を直接演じながら物語を共に作ります。今日のロールプレイングゲーム全般の根として数えられます。

ゲイリー・ガイギャックスとデイヴ・アーネソンが共に作ったD&Dのキャラクターシートは、種族、職業、筋力、敏捷力といった数値で埋まっています。しかしそのシートはあくまで出発点であって、キャラクターそのものではありません。同じ「筋力18の人間戦士」を動かしても、一人は豪快な酒飲みの傭兵を演じ、別の一人は無口な復讐者を演じます。数値は同じでも、卓に座る人物はまったく違います。

作家という呼称が最も自然に見えました。文章を書く人、物語を作る人、キャラクターを造形する人。すべて作家の仕事です。韓国語でも英語のauthor・writerでも、その呼称は十分になじみがあります。

ところが一つ、引っかかる点がありました。作家には、テキストを直接書く人を指す狭い意味があります。紙の前に座り、一行一行を自分の手で紡ぐ人。それが作家の典型的な姿です。

私たちが教えたい相手は、それより広い存在です。一人のキャラクターをシード(ひと握りのアイデア)から出力(完成したシート、あるいは完成した散文)まで責任を持つ人です。その責任を持つ人は、全行を自らの手で書くこともあれば、ある行は他人や別の道具が第一稿を作り、自分は検収だけをすることもあり、外注して結果だけを受け取ることもあります。どちらであれ、そのキャラクターの最後の合格ラインを決める人は一人です。その一人を呼ぶ名称が必要でした。

私たちはその人を**プロデューサー(Producer)**と呼びます。

作家とプロデューサーの差は、狭く深い差です。作家がテキストを直接書く人、狭い意味の著者なら、プロデューサーは一つのコンテンツをシードから出力まで責任を持ち、道具・資料・外注を統合運用する人です。

映画や放送、ゲームにはすでにこの役割の区分があります。映画の監督が現場の演出を担うなら、プロデューサーは企画から完成まで全体を責任を持って担います。アニメーションの監督と制作統括、ゲームのディレクターとプロデューサーも同じ関係です。本講義のいうプロデューサーは、一行一行を直接書く人より、キャラクターを始まりから完成まで責任を持つプロデューサーに近いものです。

一人が二つの呼称を同時に持つこともできます。自分の手で一行一行すべてを書きつつ、シードから出力まで責任を持つなら、その人は作家でありプロデューサーです。どちらか一つだけを持つこともあります。自分の手で直接書かなくても、キャラクターの最後の合格ラインを決める人は、作家ではなくプロデューサーです。

本講義が教える手順は、プロデューサーの意識の流れに合わせて設計されています。「一行をどう格好よく書くか」ではなく、「一人のキャラクターをゼロから出力までどう連れていくか」の意識です。両者には重なる部分がありますが、同じではありません。作家の仕事とプロデューサーの仕事が分かれる部分で、本講義はプロデューサー側に従います。

この呼称の違いは、本講義を通じて意味を持つようになります。次節がその理由です。

AI活用が前提です

私たちは一人のキャラクターを造形する標準時間を、八時間から十五時間の間に設定しています。聞き方によって長くも短くも感じられますが、この時間は人が手だけで作業する前提ではなく、プロデューサーがAIの仕事仲間と共に働く前提から出た数字です。

AIの仕事仲間:初稿生成、分類、点検のような仕事を共にする人工知能の道具を、働く仲間のように呼ぶ言葉です。本講義は、プロデューサーが決定と合格ラインの判断を担い、AIが速い第一次産出と反復作業を担う分業を前提とします。運転席は人が握り、ナビゲーションと補助エンジンをAIが担う図に近いものです。

スティーヴン・キングは『書くことについて』で、書くときにはいつも頭の中に「理想の読者」一人を座らせ、その人がどこで笑い、どこで退屈するかを想像して書くと述べました。キングにとってその読者は妻タビサでした。プロデューサーのそばにいるAIの仕事仲間も、このようにそばに座らせ、反応を試す相手に近いものです。もちろんこれは比喩であり、キングがAIについて語ったわけではありません。

この点を最初から明確にしておきたいと思います。

私たちは、この仕事を一人で手だけで引いていく仕事として教えません。理由は二つあります。第一に、実際に私たちがそのように働いていないからです。私たちは各段階でAIの仕事仲間と第一次産出を受け、その産出を検収し、ひねって再び使います。第二に、AIの仕事仲間と働けば時間が短くなり、その短縮が本手順の合理性を支えます。手だけで引けば八時間は三十時間になり、三十時間かかる手順は結局使われません。

各段階で、どこがAI活用の部分で、どこがプロデューサーの直接作業なのかを軽く描いてみましょう。

シードを決める段階で、私たちは三十種のシードカードをあらかじめ作っておきます。そのカードを無作為に混ぜて五枚引くのは無作為が行います。引かれたカードのキーワードへ答える第一次回答は、AIの仕事仲間と共に素早く組みます。その五つの答えを一人の人物に結べるか試すこと、どれか一つを捨てること、最終の一行へ圧縮することはプロデューサーが行います。

自己客観化のミラー段階では、三十の短い質問に答える第一次回答をAIの仕事仲間が担います。MBTI四文字から二文字を選び、一語のアイデンティティを引き出すことはプロデューサーの直接作業です。

MBTI:人の傾向を四つの軸、全十六種類のアルファベットコードに分ける大衆的な性格分類ツールです。創作では心理診断ではなく、人物の質感をつかむ参考枠として軽く使う方が安全です。「この人物は計画型(J)か即興型(P)か」程度に出発点だけをつかみ、残りは人物に任せます。

キャラクターが自分自身を1500字の短編として書く段階が、日常断面シナリオです。そこでの第一次草稿もAIの仕事仲間と共に書きます。その草稿がキャラクターのトーンと一致するかを検収し、合格ラインを通すのはプロデューサーです。

各段階はこのような形です。AI活用が強い部分は、速い第一次産出、形式変換、反復作業です。プロデューサーが強い部分は、決定・圧縮・合格ライン判断です。 二つを分けておかなければ、どちらも効率的ではありません。本講義の十四章は、各章でこの分担を自然に案内します。

どのモデルのどの道具を使うかは、本書では扱いません。それは私たちの内部道具の話であり、本講義の主題とは別の領域にあります。ただし、キャラクターを造形する仕事がプロデューサーの手だけで行われない事実、そして各段階でプロデューサーの部分とAIの仕事仲間の部分が異なる事実、この二つは本講義を通じて前提に置かれます。

この姿勢は本講義の第二の柱です。第一の柱がキャラクターを一人の人間として扱う姿勢なら、第二の柱はその仕事をプロデューサーがAIの仕事仲間と共に進める事実です。この二つの柱の上で、本講義の十四章は進みます。

十四章の地図

これからの十四章の流れをあらかじめ示します。第1・2・3章は姿勢と骨格です。第1章は姿勢を整え、第2章はシードから出力までの十二段階の流れ、第3章は階層と事前準備五モジュール。第4章から本格作業が始まり、第4章はシード決定(外部シードと三十カード)、第5章は自己客観化のミラー五尺度、第6章は日常断面シナリオ1500字短編の模擬です。第7・8・9章はキャラクターの立体化で、クリシェの逆転とボディアンカー、欠点・欠乏・トラウマ、Want・Need・Lieの三行。第10・11・12章は関係と出力で、キャスト五人、憑依没入の運用、五媒体(ライブラリ・TRPG・シナリオ・アニメ・ウェブ小説)への出力。第13章は非典型キャラクター(AIチャットボット・VTuber・教育・治療・児童)、第14章は五つの診断と最後の挨拶です。

地図にあらかじめ登場した見慣れない言葉を短く解きます。本文ではそれぞれ該当章で詳しく扱います。シード:キャラクターを始めさせる核心アイデア一行。クリシェ:あまりに頻繁に使われ、なじみになった設定や人物類型。ボディアンカー:抽象的な性格を、身体の癖、傷、感覚へ固定する装置。Want・Need・Lie:人物が表向きに欲するもの、本当に必要なもの、自ら信じる嘘を指す三軸。憑依没入:プロデューサーが人物の視点へ入り、直接話し、行動してみる作業。

十四章を貫く二行があります。一人のキャラクターを造形することは、一人の人間を十分に生きて動かすことであり、その仕事はプロデューサーがAIの仕事仲間と共に進めます。次章では、シードから出力までの十二段階の流れを一度に広げます。


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