KIM DONG-EUN · FTUE:初回ユーザー体験 (30 章)
第4章 体験とは何か
第4章 体験とは何か
ハートボタンを置いただけでは、愛される体験は生まれない。
人気ゲームのUIを1ピクセルまでそのまま写し、いいねもコメント欄もフォロワー数も画面にそろえたのに、いざ押してみると空虚さだけが返ってくる。写したのはボタンであって、そのボタンを意味あるものにしていた出来事はついてこなかったからだ。
ボタンを押すことは体験なのか、それとも体験の影なのか。
妙な問いに聞こえるが、考えてみよう。SNSにはハートボタンがあり、私たちはそれを押して「いいねを押した」と言う。だが、あるアプリが投稿の下に同じハートを描いたからといって、ユーザーはそこで「認められる体験」をするだろうか。ハートは認められる体験を指す印にすぎない。誰も押さないハートや、押しても何も起きないハートは、ただの赤い絵だ。
ここで立ち止まって考えるべき言葉が「体験」である。私たちは最初の体験を設計すると言いながら、実際には体験らしいものを画面に並べ、体験を作ったと思い込んでいる。ハートを置いたから承認体験を与えた、ガチャを置いたから高揚感を与えた、会話欄を置いたから親密さを与えた、という具合だ。この錯覚が危険なのは、最もありふれ、最も見えにくい失敗だからである。UIはきちんと全部そろっているのに、ユーザーは何も感じない。この章では、体験と体験をまねたものを切り分け、体験が平らな一枚ではなく、幾重にも重なっていることを見る。その本物の体験をどこから借りるのかという問いは、第5章の先行類似体験が引き継ぐ。
いいねボタンはあるのに、いいねがないアプリ
一つの場面を見てみよう。あるチームが新しいソーシャルアプリを作るためにInstagramを熱心に分析し、ハート形のいいねボタン、数字が増えるカウンター、プロフィール横のフォロワー数、投稿下のコメント欄まで、ほぼ同じUIを作った。ところがベータテストを行うと、誰も活気を感じない。いいねボタンはあるのに押されず、コメント欄はあるのにコメントがつかない。画面だけ見れば完璧なソーシャルアプリだが、中身は空っぽだ。
何が欠けているのか。Instagramでハートが機能するのは、その形のおかげではない。その背後に「自分が投稿した写真を誰かが見て、認めてくれる」という実際の社会的出来事があるからだ。人がいて、関係があり、見るに値する投稿が蓄積している。いいねが押されれば通知が届き、その通知が再び自分を高揚させる。ハートボタンはそのすべての出来事を示す印にすぎず、印を写しても出来事はついてこない。
もちろん鋭い読者はここで反論するだろう。そのベータアプリが空虚なのは、設計以前に人がいないからではないか、と。その通りだ。設計が完璧でも、空のネットワークにあるハートは空のハートであり、ソーシャルアプリの空虚さにはユーザープールという交絡変数が混ざっている。だが、まさにその点がゲームの特権を示す。ゲームは相手がシステムやキャラクターであるため、人を集めなくても設計によって出来事を作り出せる。それでも私たちの仮想ゲームのハートは押されない。出来事を作れるメディアでさえ記号表現だけを置くこと、それが本当の問題なのだ。
私たちの仮想ゲームに移してみよう。キャラクターのショート動画を集めて会話するゲームで、キャラクターカードの下にハートボタンを置き、ユーザーが押すことでキャラクターへの愛情を表現する企画にしたとする。ところが実際に使うと、誰も押さない。そのハートが何も指していないからだ。押してもキャラクターは反応せず、自分の愛情がどこかに蓄積することも、後で返ってくることもない。愛情という体験は、キャラクターが自分の名前を呼び、頻繁に会えばさらに懐き、離れていれば会いたがる、といった実際の出来事から生まれる。ハートボタン一つでは生まれない。
MEJEアイドンワールドで見ると、違いはさらに明確だ。推しに似たアイドン(子犬)にハートボタンをつけることと、ファンがそのアイドンに自ら名前をつけ、毎日餌を与え、なでることはまったく違う。前者は愛着の印で、後者は愛着そのものだ。ファンはハートの数を見てアイドンを愛するのではなく、自分が名前をつけ、世話をした時間によって愛するようになる。だからアイドンワールドの最初の体験は、ハートをつけることに時間を使わず、ファンがアイドンに直接何かをしてあげる行動を先に作る。
体験と体験模倣:記号表現と記号内容
ここで言葉を分けよう。画面上のハート、ガチャ演出、会話欄、進捗バーのように、体験をまねて指し示す印を本書では体験模倣と呼び、その印が指す本物の出来事を体験と呼ぶ。言語学から大まかに借りれば、体験模倣は記号表現、つまり印であり、体験は記号内容、つまりその印が指す意味である。ハートは記号表現で、認められる出来事は記号内容だ。記号表現を写しても、記号内容はついてこない。
なぜこの区別が重要なのか。競合作品のUIを写すことが最もありがちな罠だからだ。人気ゲームの画面を分解して、「向こうにはこんなボタンがある。こちらにも入れよう」と印だけを集めれば、いいねボタンだけあって、いいねがないアプリになる。写すべきものはボタンではなく、その背後で働く出来事だ。この罠には実務成果物としての名前もある。競合作品のベンチマーク文書は、その大半が記号表現の一覧である。画面キャプチャと機能項目をぎっしり整理していても、「このボタンの背後でどんな出来事が起きるか」という列がなければ、その文書は体験を写す準備ではなく、空のハートを作る準備をしている。
同じ印でも、背後の出来事が支えれば力を持つ。LinkedInはプロフィール画面に「完成度」を示す段階表示を置いている。知られている説明では、空欄を埋めるほど段階が上がり、それが検索での露出といった実際の利益につながる。バー自体が人を動かすのではなく、一マス埋めるたびに「他人からもっと見えやすくなる」という出来事がついてくるから埋めるのだ。同じ進捗バーを私たちの画面にそのまま移しても、埋めた後に何も起きなければ、再び空のハートになる。
だからUIを画面に置くたびに問うべきことがある。「このUIが指す元の体験は何か。そして、その体験は実際に起きているか。」 ハートを置くなら認められる出来事を作り、ガチャ演出を置くなら希少なものを得る高揚感が実際に働き、会話欄を置くなら本当に親密になる流れが必要だ。印と出来事が組にならなければ、そのUIは空の殻である。
体験の記号表現はSNSのボタンだけではない。レベルの数字、経験値バー、ランクバッジ、ガチャ演出、頭上に浮かぶクエストアイコンなど、ゲームが長年磨いてきた慣習全体が記号表現として働く。画面にレベル30という数字が出たからといって、ユーザーの内側に成長感が自然に満ちるわけではない。成長感は、昨日越えられなかった壁を今日越えたという実際の出来事から来るのであって、上がる数字から来るのではない。だから人気ゲームのレベルUIやクエストマーカーをそのまま写せば、そのゲームの達成感までついてくるという考えは、ハートを描けば承認体験が生まれるという錯覚とまったく同じだ。ゲーム慣習を借りるときも、この検問を通す必要がある。この慣習が指す元の体験は何か。それは私たちの画面で実際に起きているか。
もう一つ確認しよう。UXとUIは異なる。UIは画面に見えるもの、つまりボタン、色、配置であり、UXはユーザーが実際に経験する出来事の全体である。体験模倣はUI側の言葉で、体験はUX側の言葉だ。UIをうまく描いたからといってUXが良くなるわけではないという話は、印をうまく描いたからといって出来事が起きるわけではないという話と同じである。
体験は平らではない:五つの層
もう一歩踏み込もう。本物の体験を作ったとしても、体験は一枚の平面ではなく、幾重にも積み重なっており、その層同士がしばしば衝突する。本書は体験を五つの層で捉える。
最も内側が世界レイヤーだ。世界観、物語、キャラクター、そしてユーザーがその中で持つアイデンティティ。「私はこの世界の誰か」に関する層である。
その上がシステムレイヤーだ。ルール、UI、目標、ゲーム内経済。「何を、どうすればよいか」の層である。
次が感覚レイヤーだ。グラフィック、サウンド、振動、反応速度。指先と目と耳に直接触れる層である。
その上が社会レイヤーだ。他のユーザー、評判、共有、順位。「他人が自分を、自分が他人をどう見るか」の層である。
最も外側が事業レイヤーだ。課金、広告、コンバージョン、運営。ゲームが利益を得る層である。
五つの層は別々なら問題ないが、しばしば互いを壊す。たとえば世界レイヤーが没入を作っている最中に、システムレイヤーがチュートリアルのポップアップを出して「ここを押してください」と迫れば、没入は壊れる。感覚レイヤーの派手なエフェクトが強すぎれば、システムレイヤーの重要なボタンが見えなくなる。社会レイヤーのランキングを最初の画面に出せば、始めたばかりの初心者は最下位から確認して萎縮する。そして最も多く、最も致命的なのは、事業レイヤーが早すぎる段階で割り込む衝突だ。最初の面白さを味わう前に決済ポップアップが出れば、最も重要な土台である信頼が真っ先に崩れる。
あらかじめ言っておくと、体験を層に分けること自体は新しくない。UXやゲームデザインには、すでに多くの階層モデルがある。本書が付け加えるのは層分けではなく、最初の出会いで層を起動する順序である。そして、その順序を決める基準が一つある。
最初の出会いで最も重要なのは安全である
面白さでも、華やかさでもない。最初の出会いで最も重要なのは安全である。業界の通念は最初の5分にできるだけ多くの面白さを詰め込めと言うが、初めて見るキャラクターと画面を前に、ユーザーが最初に点検するのは報酬ではなく危険だ。ここで時間を無駄にしないだろうか。どこかに決済の罠が隠れていないか。間違って押し、ばかなことをした気分にならないか。この点検を通過するまで、ユーザーはどんな面白さも受け入れる準備ができていない。
第1章では、FTUEは最初の操作ではなく最初の判断の設計だと述べた。今なら、その判断の正体をさらに正確に言える。最初の判断は、報酬評価である前に危険評価である。 「面白そう」と「面倒だ」の間で分かれるように見えた判断は、実は「ここにいても安全か」という問いへの答えだ。だから最初の体験では事業レイヤーを後へ送り、世界と感覚で先に安心感を与え、その後にシステムで最初の達成を届ける。社会レイヤーはユーザーが自信を持った後でゆっくり起動する。五つの層を一度に全部つければ、起きるのは衝突だけだ。
▶ 自分の画面に当てはめる三つの問い
- 私はUIを写して、体験まで写したと勘違いしていないか。
- 画面の記号表現の背後に、それが指す記号内容、つまり本物の出来事があるか。
- 祝福の演出を敷く前に、祝福されるべきことが実際に起きているか。
三つの問いのうち一つでも出来事が空なら、その印は空の殻として残る。
では、何を最初に決めるべきか
二つの考えを合わせると、最初の体験設計の大きな原則が一つ出てくる。画面に何かを置くたび、まずそれが印なのか出来事なのかを分け、次に五つの層のどこで働くかを定める。
だから最初にすべきことは、最初の画面にある主要なUIを一つずつ指しながら、**「これはどんな体験を指す印で、その体験は実際に起きているか」**を点検することだ。起きていないなら、その印を取り除くか、背後の出来事を本物にするかのどちらかである。空のハートをそのまま残すという選択肢はない。
この点検を工程の順序に一段引き上げると、こうなる。最初の体験で記号表現は約束であり、出来事はその約束の履行である。したがって、作る順序は常に出来事が先、印が後でなければならない。祝福の演出を敷く前に、祝福されることを先に起こす。記号表現を出荷する前に、記号内容から出荷せよ。印を先に描き、出来事を後で埋める計画は、約束手形を先に発行し、残高を後で入れる計画と同じだ。最初のユーザーの前で不渡りになる。そして、借りてきた形がどんな約束を連れてくるかは、次章の主題と正確につながる。
私たちの仮想ゲームで整理しよう。最初の画面にあるキャラクターカード、ハートボタン、収集図鑑、会話の吹き出し、ガチャ演出を並べ、それぞれがどんな体験を指すか書く。図鑑は「空欄を埋める収集の快感」を指し、会話の吹き出しは「キャラクターと通じ合う親密さ」を指す。そして、最初の体験でどちらを本当に働かせるか、どの層から起動するかを決める。最初の5分に安全と最初の達成を担う世界とシステムを先に起動し、ハートや順位のような社会レイヤーは、ユーザーが最初のキャラクターを完成させた後へ送る。
この点検を正式な様式にする作業、つまり五つのUIを選び、元の体験と実際に起きているかを判定する表は、第13章で本格的に扱う。五つの層の衝突を交通整理する作業は第19章で扱う。ここでは、印と出来事を分け、体験に層があることを目で確かめるところまでだ。(体験模倣の解剖表は付録B、5レイヤー衝突調整表は付録C。)
参考コンテンツ
この章の概念が表れている、他メディアの事例。
ビデオゲーム
- Minecraftの空腹・体力ゲージ:ありふれた状態表示に見えるが、空腹が0になると実際に体力が減り、難易度によっては死に至る。空腹が高いときだけ体力が回復するというルールが支えることで印が力を持つ、印の背後に明確な出来事がある例を参照する。
- Death Strandingのいいね:同じハートの印でも、他のプレイヤーが残したはしごや橋を実際に利用すると、いいねが自動的に蓄積するようにし、印の背後に助けられた出来事を組み込んだ設計を参照する。
- Dead Spaceのダイジェティック・インターフェース:体力を画面のバーではなくキャラクターの背骨の光で、弾薬を武器から投影されるホログラムで示す。印そのものを世界内の出来事に溶かし、記号表現と記号内容が分かれないようにした例を参照する。
一般アプリ
- 最初の一戦前に全面広告や決済画面を出すモバイルゲーム:事業レイヤーが中核ループを味わう前に割り込むと、即座の削除につながるとされる。信頼という土台を先に壊すレイヤー衝突を参照する。広告は一戦が終わった後へ、決済はユーザーが夢中になった後へ送ることが推奨される。
- 最初の画面にランキングを出すサービス:始めたばかりのユーザーは下位の順位から確認して萎縮し、社会レイヤーが自信のない初心者を押しつぶす衝突が起きる。下位の順位を隠し、絶対順位ではなくパーセンタイルで示す、あるいは定期的にリセットするという勧告が広く使われている点を参照する。
残りの参考コンテンツは、この章末の「第4章付録」にまとめた(単行本では付録Dにまとめられる)。
設計ノート ▶ 実際にやってみる
最初の画面からUIを一つ選び、次のように埋めてみよう。
「私たちの最初の画面にある( )ボタンは、( )体験を指す印であり、現在その体験は実際に(起きている/起きていない)。」
「起きている」と判定する基準は一つだ。ボタンを押した後、画面で何が変わるかを書け。書くことがなければ、起きていない。
起きていなければ、もう一行加える。「その体験を本当に起こすには、そのボタンを押した後に( )が起きなければならない。」印の背後に出来事を入れる欄だ。ハートを押せばキャラクターが反応する、いいねを押せば相手に通知が届く、といった具合だ。印と出来事が組になっているかを確かめることが、この欄のすべてである。
このとき選ぶ一つは、SNS式のUIでも、ゲーム慣習でもよい。レベル、経験値、ガチャ、クエストアイコンのうち、私たちの画面が使うものを一つ選んで同じ欄に置き、その記号表現が指す体験が実際に起きるかを同じように点検する。
印の背後に出来事がなければ、そのボタンを取り除くか、出来事を作って埋める。空のハートをそのまま残す選択はしない。
一行要約:体験模倣は体験ではない。ボタンは体験の記号表現にすぎず、印を写しても出来事はついてこない。さらに体験は平らではなく、世界、システム、感覚、社会、事業の五つの層として積み重なり、衝突する。最初の出会いで最も重要なのは面白さではなく安全なので、事業レイヤーは後へ送る。 次章:それでは、本物の体験をどこから借りるのか。ユーザーは手ぶらで来ない。YouTube、ウェブトゥーン、他のゲームですでに経験した「先行類似体験」が、私たちの最初の画面をあらかじめ判断する。
第4章付録:参考コンテンツ集
この一覧は、第4章の二つの道具、すなわち印(体験模倣)と出来事(体験)を分ける記号表現・記号内容の検問と、体験が世界・システム・感覚・社会・事業の五つの層に積み重なって互いに衝突するというレイヤーの読み方を、複数のメディアで確かめるものである。ビデオゲーム、映像・音楽・舞台、モバイル・アプリ・サービス、オフライン・日常に分けた。それぞれの例について、「ここで印は何か、その背後に出来事はあるか。衝突しているなら、どの層同士か」を本文の検問質問と組み合わせて見るとよい。
ビデオゲーム
- Diablo IVのボス戦における視覚的過負荷:味方と自分のスキルのパーティクルが画面を覆い、避けるべきボス攻撃の予告表示が見えない状況が、プレイヤーから繰り返し指摘されている。見るべき点:感覚レイヤーがシステムレイヤーを覆って壊す層同士の衝突として、華やかさが情報を食い尽くす瞬間を見る。
- Half-Lifeのカットシーンのない導入:プレイヤーが一人称視点の操作権をほとんど失わないまま、通路の構造とスクリプト演出だけで物語を伝える。見るべき点:システムレイヤーの案内を世界レイヤー内に溶かし、衝突そのものを設計で避けた例として、案内が没入を壊さない条件を見る。
- モバイル対戦ゲームのボットマッチング:一部のモバイル対戦ゲームは、序盤の相手を人間らしく装ったボットで埋めて連勝させると言われる。「対戦」という印の背後に、本物の相手という出来事がない。見るべき点:発覚した瞬間、それまでの勝利が遡って崩れるという意味で、印を写しただけでなく出来事を偽造した場合の、より深い裏切りを見る。
- Journeyの匿名協力:2012年のJourneyは、ユーザー名もチャットもスコアもなく、見知らぬプレイヤーと無言で旅をさせる。社会的な印をほぼすべて消しても、一緒に歩いたという出来事だけで強い感情が残る。見るべき点:記号表現がなくても出来事があれば体験は成立するという、空のハートとは正反対の証明として読む。
映像・音楽・舞台
- Inside Out:2015年の作品は喜びと悲しみをキャラクターとして描きながら、頭の中の操作卓を誰が押すかによって、ライリーの実際の行動と感情が変わるよう結びつけた。見るべき点:抽象的な感情という印が出来事、つまりライリーの変化と明確に組になった擬人化として、記号表現と記号内容がかみ合う模範を見る。
- 映画内の偽新聞・ニュース画面:本物の情報らしく見える小道具だが、指している出来事がなく、印だけで中身がない場合である。見るべき点:通り過ぎる小道具なら印だけで十分であることと、観客が止まって見た瞬間に中身のなさが発覚する限界をあわせて見る。
- Once Upon a Time in Hollywoodのラジオ転換:背景音楽のように流れていた曲が、登場人物が車のラジオを切った瞬間、世界内の音だったと明らかになる。見るべき点:同じ音楽でも、世界内の音か外側の演出かによって属する層が異なり、演出が層の境界を行き来できることを見る。
- ブレヒトの叙事的演劇における異化効果:場面タイトルの垂れ幕、舞台上に露出した照明、観客への直接の語りかけなどで、「これは演劇だ」と意図的に気づかせ、没入を断つ。見るべき点:システムレイヤーが世界レイヤーの没入を壊す衝突と同じ構造を、逆に意図した武器として使った場合を見る。
- チェーホフの銃:第1幕で壁にかかった銃は最後に必ず発射されなければならないという作劇原則であり、舞台に置かれた印は実際の出来事で返済されるべきだという意味である。見るべき点:印の背後に出来事を用意せよという記号表現・記号内容の検問における古典的規律として、画面上のすべてのUIに同じ問いを投げかける。
- Milli Vanilli事件:歌っている姿という印は完璧だったが、実際に歌った人は別にいた。公演中に音源が飛んで発覚し、その後グラミー賞が史上初めて取り消された事件として知られる。見るべき点:印と出来事が分かれていたことが明らかになったときに返ってくる裏切られた感覚の大きさを、信頼崩壊の見本として見る。
- シットコムの缶詰笑い:楽しさという印を敷いても、本当に面白い出来事がなければ空虚である。観客の笑い声を重ねるコメディーが徐々に減った流れが、それを示している。見るべき点:印だけでは感情が生まれないこと、印が出来事の代わりになろうとしたとき、観客が先に見抜くことを見る。
- リアリティーショーのフランケンバイト編集:異なる時点で語った断片をつなぎ、実際にはしていない発言を作って、真正さという印を絞り出す。その出来事が組み立てられたものだと知られれば、信頼が崩れる。見るべき点:編集で出来事を製造した場合として、印と出来事の検問が倫理問題へ広がる地点を見る。
- マクガフィン:物語を動かす印として置かれただけで、中身は空でもよい装置である。見るべき点:印と出来事が食い違っても動く珍しい例として、その例外が成立する条件、つまり誰も中身を検査しない位置にあることまで見る。
モバイル・アプリ・サービス
- 進捗バーが最後まで埋まっても何も起きないアプリ:埋まるという印の背後に報酬の出来事がなければ、空のハートになる。見るべき点:バーが満ちる間に蓄積した期待が最後の一マスで不渡りになる構造として、印が作った約束は出来事で返すべきだということを見る。
- 労働錯覚(labor illusion)の研究:旅行検索サイトの実験で、結果をすぐ出す場合より、どの航空会社を検索中かという過程を示しながら待たせた場合のほうが、満足度が高かったという研究が報告されている。見るべき点:出来事が実際に起きていることを示す印が価値の知覚を高めること、すなわち記号表現と記号内容が組になったときの増幅効果を見る。
オフライン・日常
- 自動車のアクティブ・サウンド・デザイン:エンジン回転数とスロットル入力をもとに合成したエンジン音を車内スピーカーから流し、力強さという印を作る。一部には、あえて強度を下げて実際の排気音を聞こうとする運転者もいる。見るべき点:印と実際の出力が食い違うと、ユーザーが印を疑い始めること、感覚レイヤーの演出にも検問が必要なことを見る。
- 自動車のドアを閉める重厚な音の調整:低く重い音が高級感として知覚される点を利用し、頑丈さという感覚的な印を設計し、最初の試乗で感じる品質を左右するとされる。見るべき点:印と実際の品質が組になれば信頼として残るが、音だけが良く、品質が別なら、いつか裏切りとして返るという非対称性を見る。
- プラシーボボタン:ニューヨークの横断歩道にある歩行者用ボタンの多くが、信号システムから切り離されたまま残っていると報道され、エレベーターの「閉」ボタンも規定のため一般ユーザーには作動しないものが相当数あるとされる。押す行為が統制感という印だけを与える。見るべき点:印だけでも不安を減らす効用と、見破られたときに失う信頼を同じ秤に載せ、記号表現の倫理を考える。
- 飲食店のオープンキッチン:調理過程を客の目の前に見せる配置で、客と料理人が互いを見ることができると、料理の評価と満足度がともに上がったという研究が知られている。見るべき点:出来事、つまり調理が起きていることを見えるようにするだけで、同じ料理の体験が変わるという、印と出来事が組になったときの力をオフラインで確かめる。