KIM DONG-EUN · FTUE:初回ユーザー体験 (30 章)
第14章 驚きと慣れの調和:4原則とフロー
第14章 驚きと慣れの調和:4原則とフロー
第13章では、ボタンは体験そのものではなく、体験の記号表現だと見た。今度は、それらの記号表現を並べた最初の画面が、人にどのような第一印象を与えるべきかへ進む。ただし、ここで見るのは画面内の配合までだ。その印象を画面の外で先に約束する予告は第18章で、ボタンを押したあと世界がどう答えるかは第15章で別に扱う。
新しいゲームを作るとき、最も多く聞く称賛は「これは新鮮だ」であり、最も多く聞く不満は「これは難しい」だ。だが、この二つはしばしば同じ画面から出てくる。
企画者にとって、一方は称賛、もう一方は不満なので反対語だ。しかし一般の人には同じ言葉である。初めて見る画面の前では、「新鮮だ」と「何かわからない」を区別できない。馴染みがないものはただ馴染みがなく、それが一画面に積み重なると、そのまま難しさになる。私たちが新しさと呼ぶものを、その人は難易度と読む。
企画者は、他と違う操作、見たことのない画面、初めて見る規則といった新しさを武器と考え、差別化そのものが魅力だと信じやすい。その信念は半分だけ正しい。人は新しいものに引かれる一方で、知らないものの前では止まる。最初の画面が丸ごと新しければ、「新鮮だ」と感じる前に「どうすればいいのか」と問う。その問いが長引けば、新鮮さは魅力ではなく壁になる。新しさと慣れは、味付けではなく配合の問題だ。
一つのゲームに対する二つの評価
架空のキャラクターゲームに入ろう。キャラクターを育て、飾り、短い会話を交わすゲームだ。同じ最初の画面に、二人が出会ったとする。
一人目は十秒で夢中になった。画面下の丸いボタンを見るなり押すと、キャラクターが反応した。上へスワイプすると次のキャラクターが現れた。誰にも教わっていないのに、手が勝手に動いた。ショート動画を送っていた手、写真を送っていた手がそのまま通じたからだ。そうして馴染みのある形で入ったところ、キャラクターが名前を尋ね、話しかけてきたため、初めて見る表情を浮かべた。「あ、この子が私に話しかけてくる」。馴染みのある身振りで入り、新しい何かに出会ったのだ。
二人目は同じゲームへ別の道から入った。友人のリンクからカスタマイズ画面へ直接着地した一人目とは違い、アプリストアの広告を見てダウンロードし、本編の戦闘を最初に見せる入口へ入った。そして三十秒で閉じた。最初の画面には見たことのない形のジョイスティックが左下にあり、上には意味のわからない二本のバーが色で満たされ、中央にキャラクターが立っていた。ゲーマーなら二本を一目で体力とスタミナと読むが、初めて来た人には、何かが満たされている途中なのか、広告の終わりを示しているのかさえわからない。何を押し、どこを見ればよいかもわからなかった。新しさが多すぎて、自分が何を知らないのかさえ分類できないまま画面を閉じた。二つの画面は同じゲームの異なる入口だったが、一方は慣れで開き、もう一方は新しさで塞がれた。
MEJE Aidong Worldは、操作を意図的に馴染みのある場所へ置く。犬のAidongを飾る画面で、手でなで、ステッカーを貼る動作は、ファンがフォトカードやスマートフォンを飾っていた動作であり、色を選び、飾りを加えるのは手帳デコでしていたことだ。手がすることはすべて暮らしていた場所から持って来て、新しいのは結果にする。なでればAidongが楽しそうに笑い、色を選べば世界に一つの私のAidongが生まれる。身振りは馴染み深く、結果は驚きに満ちて。
三つは借り、一つだけ新しく与える
最初の画面をどれほど馴染み深くするかを曖昧にしておけば、毎回感覚で決めることになる。そこで、四つの基準に分ける。四つが満たされると、人は最初の画面を「読める」と感じる。
第一は直観性だ。説明を聞く前に、何をする画面か見当がつくか。丸いボタンは押してみたく見え、キャラクターは触れてみたく見える。見ればわかることが直観性である。第二は親しみやすさだ。画面上の動作が、別の場所ですでにしていた動作と似ているか。スワイプして送り、押して選び、引いて更新する動作は毎日しているため、似るほど教えることが減る。第三は一貫性だ。一画面で通じた規則が、次の画面でも通じるか。ここでは上へスワイプすると次が出たのに、あちらでは横へスワイプしなければならないなら、毎画面で学び直す。同じ動作は同じ結果を生むべきだ。第四は低い参入障壁だ。最初の動作までに越える敷居が低いか。ログイン、規約、長い説明をすべて通り過ぎなければ最初のキャラクターへ触れられないなら、触れる前に疲れる。厳密には、前の三つが画面を「読めるか」という属性なのに対し、第四は第11章で見た料金の属性で、少し性質が違う。それでも分けずにここへ置くのは、第四が前三つの結果としてついて来るからだ。直観的で、親しみやすく、一貫した画面には教えることがなく、最初の動作までの料金が自然に安くなる。
この四つはすべて慣れの側に立つ。では、新しさはどこへ置くのか。ここで本章の配合規則が出る。一つは馴染みなく、三つは馴染み深く。最初の画面が人に求めるもののうち、一つだけを新しくし、残りはすでに知っているもので満たす。操作が新しいなら、画面構成、報酬、世界観は馴染みのある形にする。世界観が完全に新しいなら、操作、報酬、画面は知っている方式のままにする。先に述べておくと、なぜ操作・画面構成・報酬・世界観の四つなのかに厳密な論拠があるわけではない。四つは法則ではなく、最初の画面で人が読み取る大きな塊を、現場で使いやすく切った経験則だ。音やキャラクターを第五の欄に増やしても、規則は同じである。要点は欄の数ではなく配合だ。新しさは、それ自体が集中力料金を請求する品物であり、最初の画面の予算では一つ分がせいぜいだ。新しさが一つなら、その一つへ集中する余裕が生まれる。二つ、三つと重なれば、どれ一つ新鮮に感じられず、ただ難しく感じられる。
もう少し分ければ、こう対にできる。操作は馴染み深く、意味は新しく。手がすることは暮らしていた場所から持って来て、その身振りが作る意味だけをここにしかないものにする。報酬は馴染み深く、世界観は新しく。うまくできたときに何かを受け取る構造は知っている形のままにし、受け取るものが何か、どの世界の一部なのかを新しくする。慣れは人を中へ入れる扉であり、新しさは入った人をとどまらせる理由だ。扉に馴染みがなければ人は入らず、中が馴染みだけなら残る理由がない。
難しさは本当に美徳か
本章には検問する慣習が二つある。第一は文化に深く根を下ろした信念だ。ゲームはもともと難しくて当然であり、難しさを乗り越えることがゲームの美徳だという考えである。
この信念は、ゲームが挑戦と克服の媒体として育った長い歴史から来た。難しいボスを数十回目で倒す快感、上級者だけが知る操作を身につける誇り、簡単なゲームを軽く見る空気の中で、この信念はゲーマーには本物だ。彼らにとって難しさは侮辱ではなく招待であり、「これをクリアできるか」という挑発が引き寄せる。挑戦は美徳だという言葉は、ゲーマーの世界では正しい。
一般の人は、この約束を共有しない。地下鉄一駅分の隙間を埋めに来た人にとって、難しさは挑発ではなく不便だ。「これをクリアできるか」という挑発を受けに来たのではなく、少し楽しむために来た。ゲーマーにとって最初の壁は越えたい挑戦だが、一般の人には最初の壁がそのまま出口になる。壁の前で自分を疑わず、ただ別のことをする。YouTubeもショート動画も隣にあるため、わざわざ難しいものにしがみつく理由はない。同じ最初の難易度が、一方には魅力で、もう一方には離脱理由となる。「挑戦は美徳」というゲーマー文化の常識を最初の画面へそのまま適用すれば、私たちがつかもうとした多数を入口で失う。
この慣習が一般の人に課す料金は、自尊心の消耗と時間の浪費だ。最初の画面で行き詰まれば、自分は鈍いのだと一瞬感じ、その不快さをもう一度味わわないためにアプリを閉じる。核心だけを残して変える。挑戦と達成の快感はゲームの優れた本質なので捨てない。ただし、その快感を最初の画面ではなく、人がすでに心を開いたあとへ先送りする。最初の壁を低くし、挑戦は人がとどまると決めたあと、ゆっくり上げる。最初の出会いで最も重要なのは挑戦ではなく、ここにいても安全だという感覚だ。
「簡単な最初のステージ」が損ではなく利益だということは、数値でも確認されたことがある。あるモバイルパズルゲームの開発元が、ステージの難易度を分けて実験したところ、序盤の難易度を上げると長期的にはより早く離脱し、最初のステージを簡単にして離れないようつなぎ止めた側が長く残ったという(運営中のゲームではステージが絶えず調整されるため、特定ステージの難易度は変わる)。難しい最初のステージは、その場では人を試すように見えても、長期的には残るはずの人まで入口から押し出す。難しさで試すより、最初を簡単に敷いて残らせるほうが遠くまで行く。
もう一つ検問する慣習がある。最初の画面で難易度を選ばせ、失敗するとゲームオーバー画面を出す習慣だ。難しい、普通、簡単から選ぶ画面は、ゲームで長く当然とされてきた。ゲーマーにとって、この選択は自分の実力に合わせて体験を調整する権利なので親切だ。初めて来た人には違う。まだゲームがどれほど難しいかわからないのに、始める前から自分の実力を宣言するよう求められる。何を選ぶべきかわからず、最初の選択から詰まる。ゲームオーバー画面も同じだ。ゲーマーにとって「YOU DIED」は再挑戦を促す馴染みの信号だが、一般の人には「あなたは失敗しました」という宣告に読まれ、少し遊びに来た人を敗者へ変える。この慣習が課す料金は、開始前の離脱と失敗後の離脱である。核心だけを残して変える。最初の体験では難易度を尋ねず、その人の最初の数回を見て、ゲームが自動で合わせる。失敗はゲームオーバーという宣告ではなく、すぐもう一度試せる軽い滑りへ変える。もう一度やりたくなる失敗は体験だが、もう一度やりたくない失敗は別れだ。
流れが途切れない場所
難易度を下げろという言葉は、ゲームを簡単で単調にしろという意味ではない。簡単すぎれば退屈して去り、難しすぎれば行き詰まって去る。最も深く夢中になる場所はその中間のどこか、自分の実力でぎりぎり成し遂げられる、少し緊張するが試す価値のある地点だ。その地点では時間が過ぎるのを忘れ、画面の外の世界をしばらく忘れる。この没入状態には学術上の名前があるが、最初の画面を組むために名前は必要ない。必要なのは感覚だ。難易度が実力を少し超えれば不安で去り、実力を大きく下回れば退屈で去る。
最初の体験でこの均衡が難しいのは、入って来る人の実力がそれぞれ違うからだ。ゲームを多く遊んだ手もあれば、初めての手もある。一つの難易度では両方を満足させられない。そこで最初の数ステージは、ほとんど失敗しないよう意図的に設計し、何をするかが手に馴染むまでは実力より難易度を低く置く。ぎりぎりの地点が没入なのに、なぜ低く置くのかと問うなら、最初は操作を覚えること自体が挑戦であり、ステージを簡単にしても体感難易度はすでに流れの中にあるからだ。手が慣れ、退屈し始める頃に、初めて少し難易度を上げる。本人も気づかないうちに少しずつ上達し、ゲームはその上達に合わせて少しずつ難しくなる。この二本の曲線が並んで上がる間、人は流れの中にとどまる。最初の画面の目標は人を試すことではなく、この流れの中へ入れることだ。
ここで、すべてを教えるチュートリアルの危険が見える。手でぶつかりながら知っていくことで流れが生まれるのに、開始時からすべての規則を説明で浴びせれば、流れが始まる場所がない。読んで覚えてから始めろというのは、遊びに来た人へ先に試験用紙を解かせることだ。馴染みのある動作でひとまず始めさせ、説明は行き詰まった場所で一片ずつ与える。流れは説明で作られず、試している間に生まれる。
▶ 自分の画面に当てはめる三つの問い
- この最初の画面が人へ新しく求めるものは、本当に一つだけか。操作・画面・報酬・世界観のうち、「新」が二つ以上ないか。
- 最初の動作で使う身振りは、別のアプリで毎日している身振りか。
- 初めて来た人が、最初のステージで一度も詰まらず最後まで進めるか。 一つでも「いいえ」なら、そこで新鮮さが難しさへ反転する。
だから、何を新しくするかから決める
新しさと慣れの配合で最初に決めるのは画面デザインではなく、私たちのゲームで新しい唯一のものが何かである。操作が新しいのか、世界観が新しいのか、報酬の意味が新しいのか。一つを決めれば残りがついて来る。新しい一つを除くすべては、人がすでに知る形で借りる。新しさが一か所に集まっていれば魅力と感じ、画面のあちこちへ散っていれば難しさと感じる。
一段深く進めば、四つの欄は等価ではないことまで見える。操作の新しさと世界観の新しさでは、危険度が違う。Portalは一人称シューティングの身振りをそのままに、手の向こうの空間だけをねじって愛された。QWOPは手の下の操作自体をねじり、多くの人への壁になった。iPhoneの新しい操作とされたマルチタッチでさえ、現実の物体に触れていた手の癖から馴染みを借りた。Aidong Worldの「身振りは馴染み深く、結果は驚きに満ちて」も同じ線上にある。新しくする一つを選ぶとき、もう一つ基準が生まれる。新しさはユーザーの手の下ではなく、手の向こうに置く。入力は借り、驚きは入力が作る結果へ置くということだ。
この決定は、すぐ測定へつながる。最初の画面が慣れの扉として働くかは、人が最初の動作へどれほど早く届くかに表れる。最初の画面を開いてから最初の入力までの時間が長い、あるいは最初の動作をせず画面だけ見て閉じる割合が高いなら、私たちが馴染み深いと信じた画面は実際には馴染みがなかった。慣れは私たちの頭ではなく、人の手が判定する。最初の数ステージの失敗率も見る。最初から失敗が多いなら、難易度が実力を追い越した信号であり、そこで最初の画面を閉じる人が増える。新しさを一つに集めたか、最初の壁を低くしたかは感覚で終わらず、この数値で戻ってくる。
参考コンテンツ
この章の概念が表れる、ほかのメディアの事例。
ビデオゲーム
- Portal:「WASD移動・マウス照準」という一人称シューティングの馴染み深い身振りをそのままに、新しさを「二地点をつなぐポータルガン」一つへ集める。序盤のテストチェンバーではポータルを一つ撃たせたあと二つをつなぐ形で、規則を一片ずつ手で覚えさせる。「三つは馴染み深く、一つは馴染みなく」と、試しながら学ぶ設計の両方を参照できる。
- QWOP/Getting Over It:馴染み深い操作を意図的にすべて壊し、新しさだけを大量に積んだ反例。その馴染みのなさがアイデンティティだが、初めて来た多くの人には壁になる。
- DARK SOULS:チュートリアルの最初のボスデーモンは、満足な武器を持たない状態では正面から戦うより逃げて扉から抜けるよう誘導された戦いだ。「YOU DIED」と篝火、すなわちチェックポイントが「死んでももう一度」という信号として結びつき、同じ死をゲーマーは招待、一般の人は宣告として読む分岐を参照できる。
- Angry Birds/Candy Crush:最初のステージは指で触れるだけで解けるように置き、難しさは人がとどまると決めたあと、ゆっくり上げる。Candy Crushは第11章のハート、第13章の称賛の声に続いて登場する、本書の常連の検問対象だ。
機器UX/家電
- iPhone最初のマルチタッチ:画面とアイコンの配置は馴染み深いままにし、指で直接スワイプし、つまむ操作一つだけを新しくし、その一つへ驚きを集めた。
残りの参考コンテンツは、この章の末尾にある「第14章付録」にまとめた(単行本では付録Dに収録)。
デザインノート ▶ 自分で試す
私たちのゲームの最初の画面が人に求めるものを、操作、画面構成、報酬、世界観の四つに分けて書く。
各欄の横に一文字だけ書く。人に馴染みがあるか、新しいか。慣または新。すべて書いたら、「新」がいくつあるか数える。二つ以上なら、その中で本当に私たちだけの武器である一つだけを残し、残りを人が知っている形へ変えられるかを見る。一つは馴染みなく、三つは馴染み深く、が守られているかを確かめる。
次に、四原則で最初の画面を採点する。ただし採点者は私たちではない。本文で慣れは私たちの頭ではなく人の手が判定すると述べておきながら、企画者が自分の画面を採点すれば、それはまさに「私たちの頭」だ。第7章の極端な初心者に近い人を一人座らせ、直観性、親しみやすさ、一貫性、低い参入障壁を、それぞれ0点から5点で採点してもらう。すぐにそのような人を用意できず、チーム内で採点したなら、その点数は仮説としてだけ残し、必ず最初の入力へ届く時間の測定と対にして検証する。点数が最も低い項目が、最初の壁が最も高い。そこから直す。最後に最初の三ステージの難易度を書く。最初はほとんど失敗しないように、二つ目は手に馴染むように、三つ目で初めて少し難しくする。この曲線が実力より先へ出ていないかを見る。精密な配合表と採点表は、付録Cの4原則採点表へ続く。
一行要約:新しさは人をとどまらせる理由であり、慣れは人を入れる扉だ。最初の画面は一つだけ馴染みなく、三つは馴染み深く設計してこそ、人は新しさを魅力と感じる。直観性・親しみやすさ・一貫性・低い参入障壁で慣れを満たし、新しさを一か所へ集める。ゲームは難しくて当然というゲーマーの常識を最初の画面へそのまま使えば、最初の壁がそのまま離脱になる。人を試さず、流れの中へ入れる。 次章:馴染みのある身振りで入り、最初の動作をしたとしよう。その動作に世界がどう答えるかが次の問題だ。ボタンを押したのに世界が反応しないなら、それは体験か。ボタンの後ろで世界が反応する話、フィードバックへ進む。
第14章付録:参考コンテンツ集
この事例集は、最初の画面を読めるようにする四原則(直観性、親しみやすさ、一貫性、低い参入障壁)と、「一つは馴染みなく、三つは馴染み深く」という配合規則、そして新しさは手の下の操作ではなく、手の向こうの結果へ置くという本章の論点が、ゲームの外のメディアでどう繰り返されるかを集めたものだ。事例はメディア別にまとめ、各項目の末尾に「観察点」を付け、設計者が何を見るべきかを記した。読み方は一つだ。それぞれの事例で、何が馴染み深く、どの一つが新しいか、新しさが一か所へ集まっているか、散っているかを数える。
ビデオゲーム
- スーパーマリオブラザーズ 1-1:1985年の作品は、文章を一行も使わず、最初の数歩でクリボーを避け、踏み、ハテナブロックを叩き、キノコと敵を見分ける方法を手で悟らせる。宮本茂は「プレイヤーが何をすべきか自分で気づく瞬間、それが彼自身のゲームになる」という趣旨の発言をしたとされる。観察点:説明ではなく流れで教える無説明導入の原型、一画面に新しいものが一つずつだけ出るよう切られた分量を見る。
- Half-Lifeの導入部のトラム:1998年の作品は、開始から操作権を奪うカットシーンを置かず、ゆっくり走るモノレールに乗せ、見回し、近づけば扉が反応する世界を手で先に覚えさせる。案内文なしに環境自体が教える。観察点:説明ではなく体験で始める設計、操作は馴染み深い一人称のままにし、新しさを世界側へ集める配合を見る。
- バイオハザード4:2005年の作品は、開始前に難易度を選ばせず、プレイヤーの戦闘成績を隠れた数値で読み、敵の攻撃性・耐久力・ドロップをリアルタイムに調整するとされる。うまければ厳しく、苦手なら緩く、自動で合わせる。観察点:実力の宣言を求めず、ゲームが合わせる適応型難易度、初めて来た人の前から最初の選択の壁を取り除く方法を見る。
- どうぶつの森:ゲームオーバーも失敗画面もなく、借金を返さなくても、たぬきちは催促せず待つ。短いチュートリアル課題のあとは、決まった正解なしに自分のやり方で遊べるよう解放する。観察点:失敗を宣告にしない無敗オンボーディング、ゲームオーバーなしでもリズムと愛着が生まれることを見る。
- Portal:2007年の作品は、「WASD移動・マウス照準」という一人称シューティングの馴染み深い身振りをそのままに、新しさを「二地点をつなぐポータルガン」一つへ集める。序盤のテストチェンバーは、ポータルを一つ撃たせたあと二つをつなぐ形で、規則を一片ずつ手で覚えさせる。観察点:「三つは馴染み深く、一つは馴染みなく」の教科書的な配合、新しさが手の下、すなわち操作ではなく、手の向こう、すなわち空間に置かれていることを見る。
- QWOP/Getting Over It:馴染み深い操作を意図的にすべて壊し、新しさだけを大量に積んだ反例である。その馴染みのなさがアイデンティティだが、初めて来た多くの人には壁になる。観察点:馴染みのなさ自体をアイデンティティとして売る道もあること。ただし、その道は多数ではなく、馴染みのなさを挑戦と読む少数へ向かうことを見る。
- DARK SOULS:チュートリアルの最初のボスデーモンは、満足な武器を持たない状態では正面から戦うより、逃げて抜けるよう誘導された戦いだ。「YOU DIED」と篝火、すなわちチェックポイントが「死んでももう一度」という信号で結ばれる。観察点:同じ死の画面をゲーマーは招待、一般の人は宣告と読む分岐、失敗演出一つが出身によって正反対に翻訳されることを見る。
- Angry Birds/Candy Crush:最初のステージは指で触れるだけで解けるように置き、難しさは人がとどまると決めたあとにゆっくり上げる。Candy Crushは運営中も難しいステージを調整し続けるとされる。観察点:最初のステージの難易度は試験ではなく入場案内であること、難易度曲線が実力曲線を追い越さないよう結ぶ方法を見る。
アニメーション映画
- Disney・Pixarの馴染み深い三幕構成の上の新世界:物語の骨格は人が知る形のままにし、新しさを世界観一つへ集める。観察点:構造の馴染みが、世界の馴染みのなさを負担する予算を稼ぐことを見る。
実写映画
- 「スクリーム」:1996年の作品は、スラッシャーの馴染み深い文法、すなわち仮面の殺人鬼、十代の集団、人里離れた家をほぼすべて守りつつ、登場人物がホラーの規則を自ら知り、口に出す「自覚」の一層だけを新しく加える。観察点:「三つを守り、一つだけひねる」がジャンル映画で働く形、ひねり一つへ新しさを集める集中を見る。
- 「スター・ウォーズ」:1977年の作品は、宇宙という馴染みのない世界を丸ごと新しく作りながら、物語の骨格は最も馴染み深い英雄物語と西部劇の文法から借りた。ルーカスは黒澤明の「隠し砦の三悪人」から影響を受けたと認めたとされる。観察点:世界全体が新しいとき、構造と人物類型を馴染み深いまま残して観客を入れる配合、新しさの予算を世界という一欄へ集中して使った決定を見る。
文学
- 回帰・憑依・転生・異世界もの:中世風の剣と魔法、冒険と成長という馴染み深いファンタジーの枠組みと、ゲーム式のレベル・ステータス表示まで借り、「死後に別の世界でもう一度始める」という装置一つだけを新しく加える。観察点:手に馴染んだ枠の上で新しさを一点へ集め、参入障壁を下げる構成、ジャンル慣習が共有された慣れの在庫であることを見る。
- 「フィネガンズ・ウェイク」:複数言語を混ぜた文体、最後の文が最初の文へ戻る循環構造、夢の論理に従う物語を一度に新しく押し進め、筋書きの要約さえ難しい。観察点:新しさが一か所へ集まらず全面に敷かれると、魅力ではなく難易度になる反例を見る。
ボードゲーム
- Catan/Ticket to Ride:サイコロ、カード、道をつなぐことといった馴染み深い動作の上に、核心となる規則一つだけを新しく加え、初めて来た人も最初の一ゲームを終えられる。観察点:入門用の名作が共通して「動作は馴染み深く、規則一つだけ新しく」を守ることを見る。
- 初心者向けの「簡単な最初のゲーム」ルール:最初はほとんど詰まらないように置き、人をゲーム内へ入れてから本来の難易度を上げる。観察点:流れが生まれる前の難易度と、生まれたあとの難易度を別々に設計することを見る。
実写TV/ドラマ
- 馴染み深い形式の一つの変奏:捜査ものや医療ドラマの馴染み深い枠を三つ借り、設定一つだけを新しくし、視聴者を素早く入れる。観察点:シーズン制放送は、実質的に毎週「4原則の採点」を通過しなければならないメディアであること、変奏の数が一つに保たれているかを見る。
音楽
- I–V–vi–IVの4コード進行:U2の「With or Without You」、Bob Marleyの「No Woman, No Cry」、Adeleの「Someone Like You」のように、ジャンルが違っても同じ四コードの骨格を共有し、その馴染み深い和声の上に新しい旋律を一つ載せる。コメディグループが一つの進行で多数のヒット曲を続けて歌った「Four Chords」メドレーがよく挙げられる。観察点:馴染み深い土台へ新しい旋律一つを載せる配合が大衆音楽の基本であること、土台が同じでも新しい一欄が違えば別の曲になることを見る。
機器/家電UX
- Teslaの大型タッチスクリーンへの一元化:空調とギア以外のほぼすべての物理ボタンを一画面へ移し、指先の慣れを一度に新しさへ変えた。画面へ手を伸ばす間に車線を外れるという指摘が多く、欧州の安全評価基準は必須機能に物理操作を求める方向へ動いたとされる。観察点:慣れを一度に回収すると何が請求されるか、「新」が二つ三つ重なった画面の費用は安全という単位でも計算されることを見る。
- iPhone最初のマルチタッチ:2007年の最初のiPhoneは、画面とアイコンの配置を馴染み深いままにし、指で直接スワイプし、つまむ操作一つだけを新しくして驚きをそこへ集めた。その新しい操作さえ、現実の物体に触れていた手の習慣から慣れを借りた。観察点:新しさ一つさえ既存の身体習慣に依存させた、二重の借用を見る。
- Nintendo Wiiリモコン:2006年のWiiはゲームパッドの代わりにテレビリモコンの形を選んだ。開発陣は「誰もがいつも手にしていたリモコンなら、手に取るのにためらいがない」という趣旨をインタビューで述べている。手に馴染んだ物の形で参入障壁を下げ、新しさは振ると画面が応える結果側へ置いた。観察点:新しさを手の下、すなわち入力機器ではなく、手の向こう、すなわち反応へ置く配置が、ハードウェアでも成立することを見る。
- セルフ注文キオスク:作り手には直観的でも、初めて立つ人には画面構成、用語、決済手順が一度に新しい。後ろに列ができる社会的負担まで加わると、注文を急ぎ、注文量も減るという調査が挙げられる。観察点:慣れは設計者の頭ではなく、ユーザーの手が判定すること、同じ画面の「新」の数はユーザーごとに違って数えられることを見る。
アプリUX
- Duolingo:会員登録とログインを先に通過させず、最初のレッスンをすぐ始めさせる。進捗がたまり、保存したくなる頃に初めてアカウント作成を勧める。観察点:最初の動作までの敷居を削り、「低い参入障壁」を手に取れる形で示す事例、登録という料金が価値のあとへ先送りされた順序を見る。
- TikTokの一本指フィード:探索・選択・再生を上へスワイプする一動作へまとめ、操作は誰もが知る一つの動作へ減らし、新しさは次に何が出るかわからないフィード側へ置く。観察点:入力を借り、驚きを結果へ置く配合が、操作学習を事実上0秒にしたことを見る。
- Tossの簡単送金:電子証明書とセキュリティ媒体で複数段階を通っていた送金を、メッセンジャーでメッセージを送るような数回のタッチに減らし、定着したとされる。手がすることはいつものタッチで、新しさは手順が消えた結果にある。観察点:「もともとそういう手順」と固まった段階のうち、どこが馴染みのある身振りに畳めるか、私たちの分野の電子証明書は何かを見る。