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KIM DONG-EUN · FTUE:初回ユーザー体験 (30 章)

第12章 コンテンツ別の体験類型

キム・ドンウン WhtDrgon. · 章 12

第12章 コンテンツ別の体験類型


ゲームの面白さは挑戦だという言葉は、ゲーマーにとってだけ半分ほど正しい。

前章では、ユーザーがどのような状態で来るかを見て、最初の画面で何を先送りするかを決めた。先送りすると最初の画面が空く。その空いた場所に、何を先に与えるのか。答えるには、与えられるものが何かを先に知らなければならない。

企画会議で「何を与えるか」と尋ねると、たいていは収集機能、会話機能、戦闘機能、カスタマイズ機能、ランキング機能といった機能一覧が出る。機能を増やせば、与えられるものも増えたように見える。だが機能一覧と体験一覧は同じではない。収集機能を入れても収集の喜びが自然に生まれるわけではなく、会話機能を入れても親密さが自然に訪れるわけではない。機能は通路にすぎず、その通路を通ってユーザーが実際に何を体験するかが、体験である。

だから最初の体験を設計する前に、機能ではなく体験を軸に一覧を組み直す必要がある。その体験を画面上のどのボタンや演出に移すかは第13章の仕事なので、ここではまず与えられる体験の一覧をそろえる。人がコンテンツから得る体験は、どのような種類に分かれるのか。

同じゲームを開いても、しに来たことが違う

架空のキャラクターゲームに入ろう。三人が同じゲームをインストールしたとする。最初の画面も同じで、与えられるものも同じなのに、三人がそのゲームを開く理由はまったく違う。

最初の人は、キャラクターがきれいだからインストールした。キャラクターを見て、触れて、反応を引き出す一瞬一瞬が好きで、画面が滑らかに動き、音が軽快ならそれだけで満足する。二人目はキャラクターを集めるためにインストールした。図鑑の空欄を埋め、持っているものが増える感覚を求めており、一枠ずつ埋まることが喜びだ。三人目は友人が遊んでいるからインストールした。キャラクターにも収集にも強い関心はなく、友人と一緒に何かをし、自分がカスタマイズしたものを見せて反応をもらうことが目的である。もちろん現実の人間は、これほどきれいには分かれない。友人について来た三人目も、中で過ごすうちに図鑑の空欄へ染まることがある。それでも、少なくとも最初の画面の前に立った瞬間、三人はそれぞれ違うことをしに来ている。

三人に同じ最初の画面を同じように差し出せば、少なくとも二人には的を外す。集めに来た人へ感覚的な演出だけを長く見せれば、「それで、集めるのはどこでするのか」と尋ねる。見せに来た人へ一人で楽しむ収集だけを渡せば、「一緒にすることはないのか」と尋ねる。人によって支払いたい体験が違うのに一種類だけを与えれば、残りの人は自分のものではないと感じて去る。

最初の画面を組み立てていると、挑戦のない面白さから切り落とされがちだ。集める手応えも、カスタマイズの楽しさも、キャラクターと通じ合う感覚も「それはあとで」と先送りされ、その場所には最初の一戦の挑戦だけが残る。だが、そうして抜かれた三つこそ、私たちが連れて来ようとした人の面白さだったかもしれない。

実際に成功したコンテンツは、これら複数の道を一つの島に一緒に敷いている。任天堂の「​あつまれ どうぶつの森」を見ると、同じゲームを開いても人によってすることが違う。島を飾り、家具を配置する手応えに時間を使う人もいれば、博物館の虫・魚・化石の枠を埋める収集に夢中になる人もいる。飾った家や島を友人に見せ、互いに遊びに行くことにはまる人もいる(構成はバージョンやアップデートによって異なる)。同じコンテンツが、飾る手応え、満たしていく所有感、見せる誇示を一つの島に重ねたからこそ、どの道から来た人も自分の場所を見つけられる。ただし、この複数の道が最初の画面に一度に広がっているわけではないことは覚えておこう。ゲーム全体に敷かれているものと、最初の三十分に差し出すものは別の問題であり、この区別は本章の結論で再び扱う。

MEJE Aidong Worldも同じだ。犬のAidongをカスタマイズする同じ画面の前で、あるファンは色を塗り、形を変える手応え自体を楽しむ。別のファンは完成したAidongを「自分のもの」として持つ所有を楽しみ、また別のファンは飾ったAidongを他人に見せる誇示を楽しむ。そこでAidong Worldは、カスタマイズ一つに、塗る手応え、完成させて持つ所有感、見せる誇示という三つの体験をすべて込める。一つのコンテンツに複数の体験が重なっていると知ってこそ、どのファンに対しても的を外さない。

体験を十種類に広げる

体験を曖昧なままにすると、「面白く」という一語に押しつぶされる。そこで、人がコンテンツから得る体験を十種類に分け、道具として使う。最初の体験で何を先に与えるか選ぶには、与えられるものを別々の名前で呼べなければならないからだ。

感覚と発見は、その瞬間に身体へ届く快感である。感覚は見る・聞く・触る喜びで、画面が滑らかに動き、音が軽快で、押すと指先に反応が返る。音楽ゲームや単純なタッチ遊びが主に売る、理解するものも集めるものもなく、それ自体で完結する体験だ。発見は、隠れたものを見つけ、予想外に出会う喜びである。隅をのぞいて思いがけないものに出会い、次に何が現れるかわからないまま、もう一歩進む探索の味だ。

理解と選択と達成は、頭と手で得る体験である。理解は、知らなかったことを見抜き、解けなかったものが解ける快感だ。頭を使って一手を打ち、それがぴたりとはまったときに「なるほど」と感じるパズルの喜びがここにある。選択は、どの道へ進むか、誰の側につくかを自分の手で決める制御感である。同じ結果でも、他人に決められたものと自分で選んだものは違って感じられる。達成は、越えられなかった壁を越え、昨日よりうまくなり、難しいことをやり遂げたという感覚だ。ゲームが最も多く売る体験であり、挑戦と克服がここに入る。

所有と世界と儀式は、持ち、そこにとどまる体験である。所有は、集め、埋め、持つことで自分のものが増える感覚だ。収集の喜び、図鑑を埋める満足、自分のキャラクターが自分のものだという愛着がここに入る。世界は、物語と雰囲気の中で、その場所の誰かとしてのアイデンティティを持ち、別の場所へ入ったと感じることだ。ドラマに没入するように、その世界の中へとどまる体験である。儀式は、繰り返す手順から生まれる安定感だ。毎日同じ時間に訪れ、同じことをするリズムが日常へ染み込む。

関係と誇示は、人を通じてつながる体験である。関係は、誰かと通じ、つながる感覚だ。キャラクターが私を覚え、頻繁に会えばさらに慕い、離れていれば会いたがる。人同士であれ、人とキャラクターの間であれ、心が行き来する体験である。誇示は、他人に見られ、認められる感覚だ。自分が飾り、集め、成し遂げたものを示し、反応をもらいたい気持ちがここに触れる。

この十種類を暗記しろというのではない。私たちのコンテンツがユーザーに何を与えるのかを、一語で呼べるようにするためだ。「収集機能がある」ではなく「これは所有の体験を与える」と言えるようになれば、その体験を誰が求めているか、それを最初の画面で与えるか先送りするかが続いて見えてくる。

「面白さは挑戦と達成だけ」というゲーマーの常識

体験を扱う章なので、ゲームの慣習を一つ検問所に立たせる。慣習というより、ゲーマーの頭に深く刻まれた常識である。ゲームの面白さは結局、挑戦と達成だという信念だ。

ゲーマーにとって、ゲームとは克服することだ。難しい敵に勝ち、解けなかったステージを突破し、より高い場所へ上る。その克服の快感こそゲームの中身だと信じている。この信念には根拠がある。長い間、優れたゲームが実際にその快感を精緻に磨いてきたし、ゲーマーはその味を知っているからゲームをする。挑戦と達成は本物の体験であり、うまく設計すれば強力だ。

この常識が危険になるのは、それをゲームが与えられる唯一の面白さだと考えるときだ。初めて来た人の多くは、挑戦しに来たのではない。ウェブトゥーンを見ていた人は、次の物語が気になって来た。求めるのは世界と関係であり、克服ではない。キャラクターが好きで来た人は、そのキャラクターを持ち、そばに置きたくて来た。求めるのは所有と関係だ。友人について来た人は、一緒に遊び、見せたくて来た。求めるのは誇示と関係である。この人々に「最初の一戦から難しい挑戦で実力を証明しろ」という画面を差し出せば、ゲーマーは興奮しても、残りの人は自分の場所ではないと感じる。

この常識が一般の人に支払わせる代価は、失敗の体験と疎外感である。挑戦中心の最初の画面は、うまい人だけを歓迎する。不得意な人は最初の一戦で負け、「やはりゲームは自分に合わない」と確認して去る。挑戦を求めていなかった人に挑戦を強要すれば、自分は間違った場所へ来たと感じる。挑戦と達成を捨てろという話ではない。前章の料金で計算すれば、結論はもっと単純になる。挑戦は十の体験の中で、最初の画面に置くには最も高価な商品だ。失敗の料金と自尊心が削られる負担を先に払って初めて売れる体験だからである。反対に感覚はほとんど無料で、見て聞いて触ることには請求書がほぼ付かない。挑戦が悪いのではなく、最初のレジに置くには高すぎる商品なのだ。高価な商品は、客がこの店を信頼してから勧める。最初の画面で与える体験は、私たちが連れて来る人が求めるものでなければならない。集めに来た人には所有を、物語を見に来た人には世界を、見せに来た人には誇示を先に与える。挑戦は、それを求める人に、あるいは別の体験で十分にとどまった人にあとから差し出す。ゲームは挑戦しか与えられないという考えは、ゲームをゲーマーだけのものに閉じ込める考えだ。

出身によって求める体験は違う

ここで第9章と第10章が再び合流する。私たちが連れて来ると決めた人は、手ぶらで来るのではない。自分が暮らしていた場所で身につけた体験の好みを持って来る。その好みが、私たちの最初の画面で最初に支払いたい体験を決める。

ドラマや映画を見ていた人は、物語と世界を求める。その人にとって最初の画面は、何が起きている世界なのか、自分はその中で誰なのかが先に来る、物語の入口でなければならない。操作や挑戦を先に差し出せば、「私は見に来たのに」と感じる。コマースから来た人、つまり買い物と収集に慣れた人は所有を求める。何を持てるか、どうすれば自分のものが増えるかに関心があるため、最初の画面ですぐ「自分のもの」が一つできることが重要だ。ショート動画を延々と送っていた人は、即時的で短く、手応えのよい感覚を求める。長いナレーションや複雑な理解を要求すれば、指が先に離れる。アイドルやキャラクターのファンダムから来た人は、推しをそばに置き、毎日様子を尋ね、その関係が積み重なる、関係と所有の体験を求める。

一つの画面にすべての体験を詰めようとすれば、誰にとっても明確ではなくなる。そこで最初の体験では、第一に連れて来る人の出身を見て、その人が求める体験を三つ選び、画面の最前面に置く。ドラマ出身をつかむと決めたなら、世界と物語を先に与える。コマース出身をつかむと決めたなら、所有を先に与える。残りの体験は削るのではなく、後ろへ置く。最初の画面は、私たちが狙った人の言語で話すべきであり、その言語が、その人の求める体験の種類だ。

同じ論理は逆向きにも成り立つ。本書が一貫して挑戦と競争を後ろへ送れと述べるのは、第一の流入対象がゲームの外から来る場合の話だ。第一に連れて来る人がゲーマー出身なら、出身の論理どおり、挑戦と収集競争をむしろ前に出すべきである。ハードコアアクションの続編が、最初の画面で感覚と儀式から差し出せば、そのゲーマーは軟弱になったと感じて去る。先送りは教義ではなく、出身に従う計算だ。何を前に出すかは、いつも連れて来る人が決める。

▶ 自分の画面に当てはめる三つの問い

  1. 挑戦だけを面白さとして敷いていないか。
  2. 一般の人が探しに来る体験類型を、最初の画面が見せているか。
  3. 私たちの核心的な面白さが、最初の画面に入っているか。 一つでもずれていれば、その画面はゲーマー一人だけを呼び、残りを帰している。

だから、最初の三十分に与える体験を三つ選ぶ

「どの機能を入れるか」という問いは、もう下ろしてよい。体験を軸に一覧を組み直したあとは、「どの体験を先に支払わせるか」という一問だけが残る。

最初にすべきことは、私たちのコンテンツが与えられる体験を十種類で確かめることだ。そのうち、第一に連れて来る人が最も求める三つを選び、最初の三十分にはっきり味わわせる。残りの七つは削らずに先送りする。先ほど「あつまれ どうぶつの森」を褒めておきながら、今になって三つだけ選べというのは矛盾に聞こえるかもしれない。その場合は時間軸を分ければよい。ゲーム全体には同作のように複数の体験を敷きつつ、最初の三十分の陳列台には三つだけを置くという意味だ。残りの七つは倉庫に置き、ユーザーがこの店の常連になったあと、一つずつ陳列台へ出す。最初の画面ですべてを見せようとすれば、ユーザーは何をする場所かわからないまま去る。三つだけが明確なら、少なくともその三つを求めていた人は「ここには自分の場所がある」と感じる。

三つを選ぶとき、もう一つ基準がある。Aidong Worldのカスタマイズが示したように、一つの機能が三つの体験を運ぶことがある。塗る感覚、持つ所有、見せる誇示が、カスタマイズという一つの通路を一緒に通って来る。ならば最初の三十分設計の最小単位は、機能ではなく体験だ。機能一覧と体験一覧を縦横に広げて見ると、一つの機能で複数の体験欄を埋めるものが見えてくる。それこそ最初の画面の最優先機能である。同じ場所を占め、同じ料金を請求しながら、より多くの体験を運ぶからだ。

この決定は測定へつながる。所有の体験を先に与えると決めたなら、ユーザーが最初の三十分に「自分のもの」を手に入れる割合を見る。その割合が低ければ、意図した体験が実際には届かなかったという信号だ。ほかの類型にも、それぞれ代理となる数値を置ける。世界を掲げたなら、ナレーションとカットシーンを最後まで見る割合、つまりスキップ率を逆にした数値を見る。関係を掲げたなら、一度会ったキャラクターを再び訪れ、触れる割合を見る。最初の画面に掲げた体験と、ユーザーが実際にその体験へ届いたかを並べて見よう。約束したものと届けたものの差が数字で現れる。定量データは、与えようとした体験と実際に与えた体験の距離を照らす。

参考コンテンツ

この章の概念が表れる、ほかのメディアの事例。

ビデオゲーム

  • 「あつまれ どうぶつの森」:同じゲームで、博物館の収集にはまる人、島のカスタマイズにはまる人、友人の訪問にはまる人がいる。一つのコンテンツに複数の体験が重なっている。
  • 「ディスコ エリジウム」:従来型の戦闘をまったく持たず、二十四のスキル判定、会話ツリー、頭の中の考えを埋めていく思考キャビネットだけで進む。理解・世界・選択の体験だけでもRPGが成立することを示す。
  • Cookie Clicker/AdVenture Capitalist:押すと数字が増える単純な反復が、毎日訪れて確認するリズムになる。挑戦や物語なしに、儀式と所有の感覚だけで人を引き留める放置ゲームの典型だ。

機器UX/家電

  • たまごっち:餌を与え、洗い、毎日眺める世話だけで、十六ピクセルの生き物に愛着が生まれる「たまごっち効果」。挑戦なしに、関係と儀式、毎日の様子伺いだけで人を引き留める。

一般アプリ/ファンダム

  • K-POPファンダム:同じグループをめぐり、フォトカードを集める人(所有)、音源のストリーミングやアルバム購入に励む人、コンサートやファンミーティングへ行く人、ファンコンテンツを作って広める人がいる。一つの対象に所有・関係・誇示の体験が重なる。

残りの参考コンテンツは、この章の末尾にある「第12章付録」にまとめた(単行本では付録Dに収録)。


デザインノート ▶ 自分で試す

私たちのコンテンツが与えられる十の体験(感覚・理解・選択・達成・所有・関係・世界・儀式・誇示・発見)を横に並べる。それぞれの体験について、ゲームがどこでそれを与えるかを一行で書く。与える場所のない体験は空欄にする。

すべて書いたら、第一に連れて来る人の出身を思い浮かべ、その人が暮らしていた場所で身につけた体験が、十種類のどれだったかを確かめる。ドラマ出身なら世界、コマース出身なら所有というように、その体験を丸で囲む。

次に、丸で囲んだものを含め、最初の三十分に与える体験を三つ選ぶ。ユーザーがその三つを最初の三十分に味わえるように、最初の画面の動線を組み、三つ以外の体験は「先送り」の欄へ移す。動線を組むときは、一つの機能で複数の体験欄を埋める機能から前に置く。この作業が、付録Bのコンテンツ別体験類型表と最初の三十分の優先体験一覧へ育つ。

選んだ三つに、連れて来る人が求める面白さが入っていないなら、挑戦一つで画面を埋めようとした手を止めよう。

一行要約:機能一覧と体験一覧は同じではない。人がコンテンツから得る体験は、感覚・理解・選択・達成・所有・関係・世界・儀式・誇示・発見の十種類に分かれる。同じゲームを開いても人によって求める体験が違い、その違いは出身から来る。ドラマ出身は世界を、コマース出身は所有を、ショート動画出身は感覚を求める。ゲームの面白さは挑戦と達成だけだというのは、ゲーマーの常識であって、初めて来た人の期待ではない。 次章:与える体験を決めたら、その体験を画面上でどう表すかが残る。ハートボタンは承認を、報酬ポップアップは達成を指す。だが表示を描いただけでは、体験は生まれない。次章では、ボタンが象徴するものと実際の体験の距離を解剖する。


第12章付録:参考コンテンツ集

この事例集は、機能一覧と体験一覧は同じではないという本章の論点と、人がコンテンツから得る体験は感覚・理解・選択・達成・所有・関係・世界・儀式・誇示・発見の十種類に分かれ、同じコンテンツを開いても人によって違う体験をしに来るという論点を、複数のメディアで確かめるために集めたものだ。事例はメディア別にまとめ、各項目の末尾に「観察点」を付け、設計者が何を見るべきかを記した。読み方は一つだけだ。それぞれの事例で、一つのコンテンツが十種類のうち何枠を埋めるか、人々がどの枠へ分かれて入るかを数える。

ビデオゲーム

  • Minecraft:同じ世界で、建築に夢中になる人、生存と探索に夢中になる人、回路(レッドストーン)の研究に夢中になる人に分かれる。建築専用のクリエイティブモードとサバイバルモードを別に置き、その分岐を公式化した。観察点:モード選択は「どの体験をしに来たか」という問いそのものであること、一つの世界が複数の体験を持つために何を分けるべきかを見る。
  • Stardew Valley:2016年の作品で、三年目に受ける祖父の評価は、累計収入、博物館の収集、スキル、住民との友情、公民館の復元など異なる枠に点数を与える。農業だけ、収集だけ、関係だけを追っても同じ承認へ届く。観察点:評価体系自体が複数の体験類型を同等に数える珍しい事例であること、私たちのゲームの評価表がどの類型だけを数えているかを見る。
  • The Sims:家を飾ること(所有)、人間関係(関係)、人生の物語を作ること(世界・選択)に分かれ、勝利条件のないサンドボックスが人の数だけの体験へ分かれる。観察点:勝利条件がないとき、人がそれぞれ何をしに来るかが最も明確に表れることを見る。
  • DEATH STRANDING:2019年の作品は配達を中核とし、一人が置いた道路・橋・ジップラインをほかの人も使う非同期協力を前面に出し、戦闘(達成)ではなく接続(関係)でゲームを動かした。観察点:ジャンルの基本値だった体験を抜き、別の類型を主役にしてもゲームが成立することを見る。
  • EVE Online:2003年から続く宇宙MMOで、採掘、製造・交易、探索、海賊・戦闘がすべて職業として成立している。戦闘だけが貢献の手段なのではなく、経済全体が人によって異なる体験へ分かれる。観察点:体験類型ごとに別の職業を用意すれば、一つの世界が複数種類の人を同時に受け入れられることを見る。
  • FINAL FANTASY XIV:同じゲーム内に、戦闘で経験値を得ない「クラフター」(製作)と「ギャザラー」(採集)の職業が別にあり、戦闘をせず製作・採集・ハウジング・ミラプリだけでとどまる人の場所が用意されている。観察点:戦闘をしない人の枠を職業体系の次元で公式化した設計を見る。
  • Pokémon GO:2016年に登場した位置情報ゲーム。同じアプリを開いても、図鑑を埋め、色違いの個体を集める人(所有)、レイドや対戦をする人(達成)、散歩や集まりに来る人(関係・儀式)がいる。観察点:一つのアプリに重なる体験が互いを邪魔しないよう分けられているか、どの体験から入っても最初の画面が妨げないかを見る。
  • Gran Turismo:レース(達成)が中核に見えるが、GT Sport(2017)から加わったスケープスの写真モードやリバリー・チューニングにより、車を飾り(感覚・所有)、撮影して見せる(誇示)人も別にいる。観察点:レースという一つのジャンルの中でも、勝負以外の体験が厚い層を成すことを見る。

アニメーション映画

  • Toy Story:同じおもちゃに登場人物ごとに違う意味を与え、関係を中心に物語を動かす。観客も、冒険として見る子どもと、友情・喪失として見る大人に分かれる。観察点:一つの画面が見る人によって違う体験として届くよう、重ねて書く方法を見る。
  • 「千と千尋の神隠し」:2001年の作品を、子どもは神々の世界をさまよう冒険(発見・世界)として見て、大人は労働・金・成長の寓話(理解)として読む。観察点:同じ場面が二つの観客層へ異なる類型の体験を同時に与える、重ね書きを見る。
  • Pixarの「インサイド・ヘッド」/「カールじいさんの空飛ぶ家」:子どもは色鮮やかな冒険とキャラクター(感覚・発見)として楽しみ、大人は悲しみの受容と喪失の感情(世界・理解)として受け取る。観察点:二層の体験が互いを覆わないよう配置された構成を見る。

文学

  • 「星の王子さま」:同じテキストを、子どもは星々を巡る冒険(発見)として、大人は飼いならすことと別れの関係・喪失として読む。一冊の本が読者によって違う体験として届く。観察点:どの読者層も排除せず、層ごとに違う体験を与えるテキストの厚みを見る。

実写TV/ドラマ

  • 同一IPを見る動機の分化:物語を見る人、人物関係を見る人、世界観の考証を見る人が、同じ作品を見る。観察点:視聴後の感想やファン活動(クリップ編集、設定整理、人物分析)は、体験類型の分布を示す無料のデータであることを見る。

音楽

  • 同じプレイリストの異なる聴き方:Spotifyで同じ曲のまとまりを、集中用・背景用に流す人(感覚・儀式)、新しいアーティストを発掘するため掘り下げる人(発見)、一緒に作る共同プレイリストとして分けて聴く人(関係・誇示)がいる。観察点:一つの音源が聴き方によって複数の体験へ分かれること、一つの機能(再生)が体験を決めないことを見る。

ボードゲーム

  • Catan:資源集め(所有)、道をつなぐこと(達成)、交渉(関係)が一ゲームに重なり、人によって異なる面白さを握る。観察点:重なる体験が別々に遊離せず、資源を集めるには交渉が必要というように、かみ合っている結合を見る。
  • Descent/Gloomhaven:戦闘達成型のプレイヤーと、物語進行型のプレイヤーが同じテーブルに共存する。観察点:同じルールで遊ぶ同席者同士でも支払う体験は違うこと、一つのテーブルが複数の体験の交差点であることを見る。

テーマパーク/空間体験

  • Disneyland:同じ公園で、アトラクションの達成を買う人、キャラクターとの関係を買う人、雰囲気と世界にとどまる時間を買う人がいる。観察点:一枚の入場券が人によって異なる体験の入場券になり、動線がその分岐を塞がないよう組まれていることを見る。

一般アプリ/ファンダム

  • Instagram:同じアプリを、誇示(フィードを整えること)、関係(メッセージ)、発見(発見タブ)のために開く人がいる。観察点:下部のタブ一つひとつが、実質的に体験類型の入口へ分かれていることを見る。
  • LEGO/LEGOビルディングアプリ:作る手応え(感覚)、完成品の所有、展示と誇示が一つの活動に入る。観察点:機能は「組み立て」一つなのに運ぶ体験は三つであること、一つの機能が複数の体験欄を埋める手本を見る。
  • YouTube:同じアプリを、講義やドキュメンタリーで学ぶために開く人(理解)、登録チャンネルの近況を見る人(関係)、眠る前の背景音として使う人(感覚・儀式)、アルゴリズムが運ぶ思いがけない動画を見る人(発見)がいる。観察点:最初の画面、ホームフィードが人によって異なる体験の入口として組み立てられていること、私たちの最初の画面は誰の入口なのかを見る。
  • Strava:ランニング・自転車の記録アプリだが、記録更新(達成)、新しいコースの開拓(発見)、区間順位とKudosの反応(誇示・関係)、毎日同じ時間の運動(儀式)が、GPS記録という一機能に重なって載る。観察点:一つの機能が複数の体験欄を埋める手本、最初の三十分に前へ出す機能を選ぶ基準を見る。

オフライン/日常

  • 野球場での観戦:同じ試合を、戦力分析と記録で見る人(理解)、応援歌と食べ物の雰囲気で楽しむ人(感覚・儀式)、同行者との時間にする人(関係)、ユニフォームとグッズを集める人(所有・誇示)がいる。観察点:試合という一つのコンテンツが観客席で複数の体験へ分かれること、「面白さは勝負」という想定が野球場でも半分しか正しくないことを見る。
  • 登山:同じ山に、山頂到達の証明のため登る人(達成・誇示)、景色と空気のため登る人(感覚)、同行者と話すため登る人(関係)、毎週同じコースを回るリズムとして登る人(儀式)がいる。観察点:コンテンツである山は一つなのに、登る理由は人の数だけ分かれること、入口ではどの理由も間違いだと言わないことを見る。
  • 読書会:同じ本でも、一人で読むときは理解と世界の体験、集まって話すときは関係の体験、書評や読了記録では誇示の体験になる。観察点:コンテンツ自体ではなく、その周囲の活動が体験類型を変えること、私たちのゲームの周りにどのような活動の層を置けるかを見る。