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KIM DONG-EUN · FTUE:初回ユーザー体験 (30 章)

第10章 キャラクター名簿と感覚名簿

キム・ドンウン WhtDrgon. · 章 10

第10章 キャラクター名簿と感覚名簿


キャラクターを愛する前に等級表へ並べれば、愛着より取引が先に来る。

最初の画面が星の等級表と排出確率表になっている。好きになる顔を選ぶ前に、人は誰が高価かを目で数え始める。

前章で、私たちはその人が入る世界を決めた。今度は、その世界を最初に通訳するキャラクターを決める。

キャラクターをグラフィック資産だと考えた瞬間、最初の画面はカタログになる。

企画会議でキャラクターは、たいてい何種類作るか、等級をどう分けるか、外見を誰が描くかという形で扱われ、画面を埋める絵であり、人を引き込む餌として見られる。この見方は間違いではないが、半分しか見ていない。キャラクターは画面を埋める絵である前に、人と世界の間に立つ通訳者だ。

世界観は抽象的だ。第9章で設計した世界が温かいか、忙しいかは、色、音、雰囲気でも伝わるが、キャラクターほど速く具体的には届かない。人が最初にはっきり出会うのは世界ではなく、その世界に暮らすキャラクターだ。キャラクターがぴょんと跳ねて笑えば、「ああ、ここは安全で楽しい場所だ」とわかり、重々しく立って正面を見据えれば、「ここは重みのある場所だ」とわかる。世界が何であるかを人の感覚へ移すこと、それがキャラクターの最初の画面での本当の仕事だ。だからキャラクター名簿は絵の一覧ではなく、通訳者の名簿である。

同じ画面を見ても、別の場所で目が止まる

架空のキャラクターゲームに入る。最初の画面に、柔らかなウサギ、威厳あるドラゴン、気位の高い猫という三人が並んで現れるとしよう。

三人がこの画面を見る。最初の人は柔らかなウサギで目が止まる。抱きたく、触ればふわふわしそうで、守ってあげたいからだ。二人目は威厳あるドラゴンで止まる。見上げる気持ちになり、そばに置けば誇らしくなれそうだからだ。三人目は気位の高い猫で止まる。簡単には心を許してくれなさそうだからこそ、懐かせ、探ってみたいからだ。同じ画面でも三人の目は別の場所へ届く。全員が同じ方法で引かれるのではなく、ある人は保護欲に、ある人は憧れに、ある人は探索欲に引かれる。

これがキャラクターごとの感覚だ。キャラクターによって、人を引きつける感覚の種類は異なる。柔らかさは保護欲と愛着に触れ、弾む反応はいたずら心とタイミングの快感に触れ、気位の高さは探索欲と征服感に触れる。威厳あるキャラクターは憧れを、小さく弱いキャラクターは世話する心を、速いキャラクターは速度の興奮を刺激する。キャラクターを名簿へ載せるときは、外見だけを書いてはならない。どんな感覚で人を引きつけるかも一緒に書く。

感覚を曖昧なままにすれば、名簿へ書くたび違う言葉が出る。感覚をいくつかのまとまりへ分け、道具として使う。最初の画面でキャラクターが人を引きつける感覚は、たいてい八つのまとまりに入る。第6章の8階層や第7章の体験者8タイプとは別の一覧なので、混同しないようにする。抱き、守りたい保護・世話。隠れたものを掘り、知っていきたい探索・発見。見上げ、見せびらかしたい憧れ・誇示。触れて反応を引き出したいいたずら・反応。集めて自分のものにしたい収集・所有。速く、上手になりたい速度・熟練。言葉と心を交わしたい交流・会話。脅威なくとどまりたい安全・安らぎ。八つである必然性はない。よく見られるまとまりをまとめただけなので、私たちのチームの名簿に九つ目が出たら、そのまま加えればよい。収集・所有が堂々と名簿にあることは第8章の警告と食い違うように見えるかもしれないが、第8章が止めたのは収集ではない心に収集の名を付けることだった。ここでの収集・所有は、本当に集めたい人の欄である。

キャラクターを一人思い浮かべたとき、八つのうちどのまとまりが最初に点くかを確認すれば、そのキャラクターがどんな人へ手招きするかを一語で捉えられる。まとまり同士が重なって見えるときも、この「最初」が分ける。柔らかなウサギを見ると保護・世話と安全・安らぎが一緒に点くようだが、小さく弱いので自分が守ってあげたい気持ちが先なら保護・世話、大きくふわふわしていて自分が抱かれ、寄りかかりたい気持ちが先なら安全・安らぎだ。方向が自分からキャラクターへ向かえば世話であり、キャラクターから自分へ向かえば安らぎである。読者も自分のゲームのキャラクターを、このうち一つとして指せなければならない。どのまとまりにも入らないキャラクターがいるなら、それはまだ感覚が定まっていない絵にすぎない。

感覚が決まれば、コンテンツはついてくる。感覚がコンテンツを呼ぶからだ。保護・世話の感覚は着せ替え、世話、育成を呼び、探索・発見の感覚は少しずつ心を開く会話と、一つずつ解かれるアンロックを呼ぶ。憧れ・誇示の感覚は集め、他人に見せるコレクションとプロフィールを呼び、いたずら・反応の感覚は軽く触れるとすぐ答えるミニゲームと即答を呼ぶ。まとまりごとに呼ぶコンテンツが違うため、キャラクターの感覚を決めた瞬間、最初の動作に何を与えるかがほぼ決まる。反対に、キャラクターの感覚とコンテンツが食い違えば、人は妙な違和感を覚える。守りたい柔らかなキャラクターをいきなり戦闘へ出せば、そのキャラクターを好きになった人は、感覚が呼んでいないコンテンツを受け取り、心が落ち着かない。

MEJE Aidong Worldの三人のキャラクターが、この名簿をそのまま示す。子犬は柔らかな触感と愛着の感覚なので、抱き、撫で、世話するコンテンツが似合う。カエルは弾む反応とタイミングの感覚なので、触れると反応し、拍子を合わせて遊ぶ短い遊びが似合う。猫は探索と発見の感覚なので、隅々まで見て、隠れたものを探し、少しずつ親しくなるコンテンツが似合う。同じ着せ替えゲームの中でも、三人は三種類のファンへ三種類の手招きを送る。

このキャラクターを好きになる人は、どこから来たのか

ここで第8章と第9章が合流する。各キャラクターの感覚を書いたら、その横に欄を一つ足し、このキャラクターを好きになる人が、どこで暮らしていた人なのかを書く。

保護欲に触れる柔らかなキャラクターを好きになる人は、おそらく人形への愛着が深いか、好きな対象を毎日気遣っていた人だ。アイドルファンが持ち込む愛着と日常の同行の気持ちが、このキャラクターで満たされる。探索と発見に触れる気位の高いキャラクターを好きになる人は、物語の続きが気になり、一話ずつ送って読んでいたウェブトゥーン読者に近い。少しずつ心を許すキャラクターは、次を待つ人の心と同じ肌理を持つ。速く刺激的な反応を好む人は、ショート動画を際限なく送り、即時性に慣れた人かもしれない。

これを書けば、キャラクターはただの絵ではなく入口になる。どの出身の人を最初の画面でつかむために、どのキャラクターを前へ立たせるべきかが見える。ウェブトゥーン読者を連れてくると決めたなら、最初の画面のいちばん前に気位が高く、探索を呼ぶキャラクターを立たせる。そのキャラクターがその人へ「ここにはあなたが好きになりそうなものがある」と最初に合図するからだ。キャラクターは世界の通訳者であり、特定の出身へ向けた手招きでもある。第5章で見た先行類似体験が、ここでキャラクターごとに分かれる。このキャラクターを好きになる人は、どこでどんな経験をしてきたのか。

ガチャと等級という、キャラクターを並べる慣習

キャラクターを扱う章なので、ゲームの慣習を一つ検問所に立たせる。キャラクターをガチャで獲得させ、等級で並べる習慣だ。

多くの収集ゲームでは、キャラクターはガチャで与えられ、星五つの希少キャラクターから星一つの一般キャラクターまで等級が付けられる。この慣習はどこから来たのか。希少性で価値を作り、等級で収集の動機を作る、長年の収集ゲームの設計から来た。多くのゲーマーにとってこの枠組みは見慣れ、むしろ楽しい。低い確率を突破して希少キャラクターを得る興奮と、図鑑を等級順に埋める達成感があるからだ。ゲームの中で、この枠組みはうまく機能する。

一般の人は、この約束を共有していない。アイドルファンに、自分の推しが星一つの一般キャラクターだと等級を付ければ、愛する対象へシステムが値段を付けたことになるので、彼は侮辱を感じる。最初の画面を開いたら、好きになる顔を選ぶ前に星の等級表と排出確率表が並んでいれば、その人は誰を好きになるか決める前に、誰が高価かから読む。柔らかなキャラクターへ愛着を注ごうとした人が最初の画面でガチャ確率表に出会えば、愛着が始まる前に取引へ出会う。ゲーマーは等級を「集める動機」と読むが、一般の人は「自分が好きなものを勝手に並べる無礼」と読む。同じ等級表示が、一方には楽しさで、もう一方には拒否感だ。

この慣習が一般の人に課す料金は、愛着の断絶と課金圧力だ。最初の出会いで好きになるキャラクターを選ぶことが、すぐ確率と金の問題になれば、キャラクターを通訳者として会う前に商品として会うことになる。本質だけを残して変える。**初回体験ではキャラクターを引かせず、出会わせる。**人が引かれるキャラクターを直接選ばせ、そのキャラクターと先に関係を結ばせる。等級という縦の並びの代わりに、それぞれ違う感覚で違う人へ手招きする、横に並んだ名簿として見せる。ウサギが猫より上なのではなく、二人は違う人へ向いているだけだ。希少性と収集の動機が必要なら、人がすでにキャラクターへ心を与えた、ずっとあとのことだ。最初の画面は愛着が始まる場所であり、値段が付く場所ではない。

最近はガチャに頼っていたジャンルでも、この方向へ戻るゲームが見える。『Duet Night Abyss』は、キャラクターと能力をガチャではなくプレイで得るようにし、確率ガチャは外見の着せ替えにだけ残したとされる。好きになる対象を運任せにせず、手へ渡す方向へ重みを移したのだ。ガチャを維持するゲームも、最初に出会う場所だけは違って扱い始めた。決められた回数を満たせば、望む上位キャラクターを直接選ぶ権利を与える方式だ。運で回しても、好きな対象だけは確実に手に入る折衷である。二つの方法に共通するのは一つだ。人が心を与える対象の前では、確率の壁を低くする。この方向を最初の画面で借りる。好きになるキャラクターを選ぶその瞬間だけは、確率ではなく選択によって出会わせる。

この交差点で、業界が最もよく使う答えがもう一つある。チュートリアル演出ガチャ、つまり最初のガチャで決められたキャラクターや、高確率の上位キャラクターが出るよう、あらかじめ作った初回ガチャだ。収益モデルのため最初のセッションにガチャを入れなければならない読者は、この慣行を本章の言葉で解剖しておく必要がある。うまく使えば、出会いにガチャの服を着せた次善策になる。どうせ決められた出会いなら、演出の胸の高鳴りだけを借り、出たキャラクターとすぐ関係を結ぶようにつなげればよい。使い方を誤れば、運のふりをした選択になる。固定であることを隠したまま確率劇を演じれば、選択の愛着も運の興奮も与えられず、あとですべての人が同じキャラクターを受け取ったと知れば、最初の出会いの特別ささえ演出だったという後味だけが残る。最初のガチャを必ず入れるなら、二つのうち一つを正直に選ばなければならない。出会いを演出したなら出会いらしく、そのキャラクターとの関係へすぐつなぐ。運の興奮を売るなら、そのガチャを最初の画面ではなく、心がすでに付いたあとへ送る。

ガチャと等級の横に、もう一つ検問すべき慣習がある。キャラクターを性能だけで見る習慣だ。ゲーム企画でキャラクターは、しばしば効率ユニットとして扱われる。攻撃力、回復量、どの編成へ入れると効率が何パーセント上がるかを計算する部品として見る。この慣習は、よく設計された戦闘から来た。熟練ゲーマーはキャラクターを性能で読むことに慣れており、良いユニットと悪いユニットを分けること自体が遊びになる。初めて来た人には、その約束がない。彼にとってキャラクターは効率ユニットではなく、関係の相手だ。柔らかなキャラクターを抱きたい、気位の高いキャラクターと親しくなりたいと思って止まった人へ「このキャラクターは効率が低い」と知らせることは、心を与えようとした相手をけなす言葉に聞こえる。ゲーマーは性能表を「選ぶ根拠」と読むが、一般の人は「自分が好きになろうとしたものを低く評価する余計な口出し」と読む。この慣習が一般の人に課す料金は関係の断絶だ。関係が始まる前に性能が割り込めば、最初の出会いは出会いではなく比較になる。本質だけを残して変える。最初の画面では、キャラクターを性能ではなく性格と感覚で紹介する。強いキャラクターではなく抱きたいキャラクターとして、効率のよいキャラクターではなく何度も話しかけたいキャラクターとして紹介する。性能は、人とキャラクターがすでに仲間となり、一緒に何かをしていくときに初めて意味を持つ。

▶ 自分の画面に当てはめる三つの問い

  1. 最初の画面は好きになる対象を先に選ばせるか、それとも等級から見せるか。
  2. 私たちのキャラクターは世界を人の感覚へ移す通訳者の役をするか、それともただ絵として掛かっているか。
  3. 見て触りたい感覚が最初の画面に敷かれているか、それとも星と確率の数字が先に敷かれているか。 等級より顔が、数字より感覚が先に見えれば、愛着が取引より先に来る。

だから、名簿から感覚までを一行でつなぐ

キャラクターを通訳者として見ると、初回体験で作る名簿の形が変わる。キャラクターごとに四つをつなぐ。名前と役割、どんな感覚で人を引きつけるか、その感覚に合うコンテンツ、そしてこのキャラクターを好きになる人がどこから来たかだ。

この四つが一行につながれば、最初の画面に誰を前へ立たせるかが決まる。第一に連れてくる移住候補が好む感覚のキャラクターを前へ立たせ、そのキャラクターに合うコンテンツを最初の動作として与える。すると名簿は散らばった絵の一覧ではなく、出身、感覚、コンテンツを貫く一枚の地図になる。驚く新しい体験と、安らぐ見慣れた体験の調和も、ここから始まる。キャラクターの感覚は、その人が暮らしていた場所で見慣れたものでありながら、それに出会う方法は新しくなければならない。その均衡の設計は第14章で改めて扱う。

だから、この章を閉じる前に自分のゲームへ投げる問いは一つだ。最初の画面のいちばん前に立つキャラクターは、私たちが第一に連れてくると決めた人へ手招きしているか、それとも見当違いの人を呼んでいるか。あとで、どのキャラクターで人が最も長くとどまるかを見れば、この問いの答えは数字で返ってくる。しかし答えが出る前にも、名簿を見ながら一度は自分で問わなければならない。意図した候補とキャラクターの手招きがずれていれば、最初の画面は私たちが通訳しようとした人ではなく、別の人へ話しかけている。

この検算は逆にも回せる。最初の動作がすでに決まっている運営中のゲームなら、そのコンテンツが呼ぶ感覚を逆に特定し、最初の画面の先頭キャラクターの感覚と比べればよい。最初の動作はいたずら・反応のミニゲームなのに、看板キャラクターが保護・世話の柔らかさを持つなら、画面は片手で呼び、もう片方の手で押し返している。柔らかなキャラクターをいきなり戦闘へ出す違和感を先ほど見た。同じずれが最初の画面に隠れているかは、この比較一度で明らかになる。

参考コンテンツ

この章の概念が表れる、ほかのメディアの事例。

ビデオゲーム

  • Duet Night Abyss:2025年のリリース版ではキャラクターと武器のガチャをすべて削除し、全キャラクターをプレイで得られるようにした。確率ガチャは能力値のない外見の着せ替えだけに残した。好きになる対象を運任せにせず、手へ渡す。
  • ガチャゲームの初心者向け選択権:期間限定で開かれるたび、指定候補の中から望む星五つのキャラクターを選び、天井で確定させるバナー(Genshin ImpactのChronicled Wish)や、望む恒常星五つを選び、一定回数以内に確定で得る初心者選択バナー(Wuthering Waves)のように、好きになる対象だけは確率の外で手へ渡す折衷が増えた。
  • Pokémonの最初の三匹:Bulbasaur、Charmander、Squirtleが草、炎、水として横に並び、等級ではなく何に引かれるかの選択から出会う。何を選ぶかがプレイヤーの性向として語られるほど、明確な分かれ道だ。
  • Genshin Impactの最初の仲間Amber:ゲームを始めると無料で加わる明るく親切な弓使いが最初の仲間となり、能力値より先に世界の歓迎する雰囲気を人へ移す。最初のキャラクターが世界の通訳者となる。
  • Tamagotchi:能力値で並べず、食べさせ、遊び、片付ける世話だけから愛着が生まれ、人は画面の中の存在へ情を持つ。保護・世話の感覚がコンテンツを呼ぶ見本だ。

残りの参考コンテンツは、本章末尾の「第10章付録」にまとめた(単行本では付録Dに収録する)。


設計ノート ▶ 実際にやってみる

私たちのゲームの最初の画面に立たせるキャラクターを三人から五人決める。各キャラクターについて四行を書く。

キャラクターの名前と一行の役割。キャラクターが引きつける感覚を一つ(保護・世話、探索・発見、憧れ・誇示、いたずら・反応、収集・所有、速度・熟練、交流・会話、安全・安らぎから)。その感覚に合う最初のコンテンツを一つ。このキャラクターを好きになる人が暮らしていた場所を一つ。

四行を書いたら、もう一行を書く。キャラクターを性能ではなく感覚で説明する一文だ。「攻撃力の高いダメージディーラー」ではなく、「抱くとふわふわし、何度も気にかけたくなる子」のように、能力値の代わりに人が感じる感覚へ移した一文が、最初の画面でそのキャラクターをどう見せるかを決める。すべて書いたら、第一に連れてくる移住候補が好きになるキャラクターへ丸を付ける。それが最初の画面のいちばん前に立つ通訳者だ。

丸を付けられないときこそ、本当の合図だ。第一候補が好む感覚のキャラクターが名簿にないなら、道は三つある。最も安い道は、既存キャラクター一人の感覚を再定義し、その候補の方向へ向け直すことだ。外見が同じでも、最初の動作と話し方が変われば感覚は変わる。それで足りなければ、その感覚のキャラクターを新しく作る。新しく作る余力もなければ、第8章へ戻り、第一候補の選定そのものを見直す。どちらを直すか決めないまま最初の画面から描くのが最悪だ。

この名簿が、付録Bのキャラクター名簿表と感覚マトリクスへ育つ。最初の画面ではキャラクターを等級で並べず、好きになる人に先に出会わせる。

一行要約:キャラクターは画面を埋める絵である前に、世界と人の間の通訳者だ。キャラクターごとに引きつける感覚が違い、その感覚に合うコンテンツが違い、そのキャラクターを好きになる人の出身も違う。この四つを一行につなげれば、最初の画面に誰を前へ立たせるかが決まる。キャラクターをガチャと等級で並べれば、愛着が始まる前に取引が先に来る。 次の章:誰を、どの世界へ、どのキャラクターで迎えるかをすべて決めた。次は、その人が最初の画面の前に立った「状態」を見る。彼は集中しておらず、騒がしい場所にいて、ほかのコンテンツを諦めてここへ来た。体験には料金がある。その料金の話へ進む。


第10章付録:参考コンテンツ集

この資料集は、キャラクターが画面を埋める絵である前に、世界を人の感覚へ移す通訳者だという本章の論点と、キャラクターごとに引きつける感覚が八つのまとまり(保護・世話、探索・発見、憧れ・誇示、いたずら・反応、収集・所有、速度・熟練、交流・会話、安全・安らぎ)に分かれ、別々の人を呼ぶという論点が、ゲームの外でも同じように働くかを見るための事例集だ。本文各節の中心事例に加え、残りをビデオゲームからオフラインまでメディア別にまとめ、各項目の末尾へ「着目点」を付け、設計者が何を観察すべきかを書いた。読み方は一つだ。各事例で、人が能力や等級ではなく、どんな感覚のためにそのキャラクターの前で止まるかを見る。

ビデオゲーム

  • Overwatch:2016年に登場したチームシューターで、同じ名簿を見ても、ある人は盾で前を守る重いタンクに、ある人は一撃を狙って素早く入り込むダメージヒーローに、ある人は味方を生かすサポートに引かれる。役割ごとにプレイ感覚が違うため、憧れ・誇示の重み、速度・熟練の興奮、保護・世話のやりがいが、同じ画面で別々の人を呼ぶ。着目点:私たちの名簿のキャラクターが感覚を互いに分担しているか、それとも全員が一つの感覚に違う服を着ているかを見る。
  • Valorantのエージェント選択:Riot Gamesの戦術シューター(2020)では、エージェントはDuelist、Sentinelなどの役割群に分かれる。正面戦闘を楽しむ人はDuelistに、罠を置き、後ろを守り、相手をいら立たせることが好きな人はSentinelに引かれる。等級ではなくプレイの肌理で自分のキャラクターを選ぶ。着目点:役割群の名前が性能数値ではなく行動の肌理を指すこと、最初の選択画面が「何が強いか」ではなく「自分はどう遊びたいか」を問うかを見る。
  • Animal Crossingの住民たち:戦闘能力値がまったくない数百人の住民が、ぼんやり、元気、オトナなど八つの性格タイプと話し方だけで分かれ、人によって気にかけたい住民が変わる。強い住民ではなく、何度も話しかける住民が記憶に残る。着目点:能力欄のない名簿でも、交流・会話の感覚だけから推しが生まれること、性格タイプの数が呼べる人の種類になることを見る。
  • Stardew Valleyの住民たち:2016年に登場した農場ゲームで、住民との関係は戦闘や農業能力と無関係に、贈り物とハートイベントだけから深まり、人ごとに親しくなりたい住民と結婚相手が分かれる。効率ユニットではなく、関係の相手だ。着目点:関係コンテンツが効率から分かれていると、人がキャラクターを部品ではなく相手として扱うことを見る。
  • Team Fortress 2のクラスシルエット:2007年作の九つのクラスは、黒いシルエットだけで区別できるよう体形と姿勢を整え、Heavyは倒れそうにない大きな体で、Scoutは速いが弱そうな細い脚で、性格とプレイ感覚を予告する。開発元がシルエット識別を美術方向の原則にしたと知られている。着目点:説明文なしに外見だけで、そのキャラクターがどの感覚、つまり速度・熟練か、安全・安らぎかを呼ぶと読めるかを見る。
  • SplatoonのOff the Hook(PearlとMarina):Splatoon 2(2017)の司会者デュオで、騒がしく率直なPearlと、落ち着いて技術的なMarinaが正反対の肌理で組み、ファンごとに引かれる側が分かれる。同じ画面で別の場所に目が止まる。着目点:二人を優劣なく横に並べたため、分かれが争いではなく好みになったことを見る。

アニメーション映画

  • Inside Outの感情キャラクターたち:2015年作で、Joyは星形で黄色、Sadnessは涙形で青、Fearはむき出しの神経一本のように細い。制作陣は色と形によって感情を一つずつ即座に読めるよう作ったとされる。外見が、そのキャラクターの触れる心そのものだ。着目点:私たちのキャラクターの形と色が、意図した感覚を一目で伝えるか、形を隠しても性格が残るかを見る。
  • UpのCarlとRussell:2009年作は頑固な老人Carlを四角形に、無邪気な少年Russellを円形に作り、能力説明なしに二つの形の対比だけから、二人をすぐ読ませる。着目点:形の言葉が性格を通訳する最も安い手段だということを見る。
  • Minions/Totoro:能力説明が一行もないのに、柔らかさといたずら心だけから、保護・世話といたずら・反応の感覚へすぐ触れる。着目点:キャラクター紹介からスペックを消したとき、何が残って人を引くかを見る。

文学

  • Winnie-the-Poohの仲間たち:のんびりしたPooh、臆病なPiglet、跳ね回るTigger、憂鬱なEeyoreのように、同じ森のキャラクターがそれぞれ違う気質で別々の読者へ手招きする。性能ではなく性格として記憶される。着目点:気質のスペクトラムが読者のスペクトラムであり、私たちの名簿の気質の幅がどれほどかを見る。

実写TV・ドラマ

  • アンサンブルキャストの「推し」の分かれ:同じドラマを見ても、視聴者によって心がとどまる人物は違い、制作陣が押した主人公ではなく、脇役が現象を起こすことも多い。着目点:人気が分量や設定ではなく人物の肌理を追うこと、人々がどの人物の前で止まるかが感覚名簿の実測値であることを見る。
  • Sesame Street:1969年に始まった子ども向け番組で、一つの舞台の人形たちが感覚を分担する。Elmoは幼い視聴者と目を合わせる交流・会話、Cookie Monsterは触れると爆発するいたずら・反応、Big Birdは大きく不器用で気にかけたくなる保護・世話を担当し、年齢と気質の違う子どもたちが、それぞれ自分の通訳者に会う。着目点:一つの世界に複数の通訳者を置きながら、感覚が重ならないよう配置する方法を見る。
  • Pengsoo:EBSのGiant Peng TV(2019)に登場するペンギン練習生で、子ども向けチャンネルから始まったが、言いたいことをためらわず言う性格により、むしろ大人の会社員ファン層が付いたとよく語られる。着目点:キャラクターが呼ぶ人は企画書の対象欄ではなく、キャラクターの感覚が決めること、意図した出身と実際に集まった出身がずれたとき、そのずれが送る合図を見る。

音楽

  • アイドルグループの「推し」の分かれ:同じ舞台を見ても、歌唱、ダンス、優しさ、舞台を支配する力のどれに引かれるかで好きなメンバーが分かれ、グループ全体の人気とメンバーごとのファン層は別々に動く。着目点:順位表ではなく、それぞれ違う魅力が別々の人を呼ぶこと、キャラクター名簿の原型がすでに舞台上にあることを見る。

漫画・コミック

  • 少年漫画のキャラクター人気投票:週刊連載漫画の読者人気投票では、最も強いキャラクターではなく、心に触れたキャラクターが一位になり、主人公が脇役に抜かれることも珍しくないとされる。着目点:性能と人気が違う軸だと数字で示す珍しい装置であること、私たちのゲームで二つの軸を分けて測れるかを見る。

ウェブトゥーン

  • キャラクター性で引くウェブトゥーン:第1話で能力値や世界観の説明ではなく、表情、雰囲気、口癖から読者が好きになる人物へ先に会わせる。着目点:第1話でキャラクターのどの感覚が最初に現れるか、情報より引力が先に来るよう作られているかを見る。

テーマパーク・空間体験

  • Disney Parkのキャラクターグリーティング:園内各所で好きなキャラクターを自分で選び、会いに行く。人気キャラクターの前には列ができるが、その列は等級表ではなく、それぞれの心が作った列だ。着目点:出会いが取引より先に設計されていること、キャラクターとの最初の接点が「ガチャ」ではなく「探しに行く」であることを見る。

キャラクターIP・グッズ

  • SanrioのMy MelodyとKuromi:おとなしく愛らしいMy Melodyと、いたずらで鋭いKuromiが正反対の肌理から別々のファンを呼び、毎年行われるキャラクター人気投票で二人とも上位を争うとされる。着目点:人気順位が分かれても、それが優劣ではなく肌理の違いとして読まれるようにするIP運営を見る。
  • Kakao FriendsのRyan:2016年に加わった、たてがみのない雄ライオンのキャラクターで、能力設定なしに寡黙で頼もしい一つの肌理から、すぐ看板になったとされる。同じ名簿でApeachがいたずら・反応を担当するあいだ、Ryanは安全・安らぎを担当する。着目点:一つのIP内でキャラクターごとに感覚を分担させ、別々の人を呼ぶ分業と、その感覚がスタンプやグッズというコンテンツを呼ぶ流れを見る。

オフライン・日常

  • EverlandのパンダFu Bao:2020年に韓国で生まれたパンダで、芸や希少等級ではなく、飼育員との交流場面が広がり、現象級の愛着を集めたとよく語られる。人々はFu Baoの能力ではなく、世話され、世話する場面の前で止まった。着目点:保護・世話の感覚が、世話の場面というコンテンツを通じて愛着へ育つ経路と、キャラクターゲームの最初の画面が見せるべきものがスペック表か、世話の瞬間かを見る。

一般アプリ

  • Microsoft OfficeのClippy:Office 97から入ったクリップ型の助手で、交流・会話の感覚を狙ったが、頼まれていない口出しで作業へ割り込み嫌われた。2000年代初頭の版から既定でオフになり、やがて消えた。着目点:キャラクターを置けば通訳になるわけではないこと、キャラクターの感覚と実際の行動がずれれば、通訳者が雑音になるという反例を見る。