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KIM DONG-EUN · FTUE:初回ユーザー体験 (30 章)

第16章 注意散漫な状態の設計:ノイズと情報汚染の中のボタンとLED

キム・ドンウン WhtDrgon. · 章 16

第16章 注意散漫な状態の設計:ノイズと情報汚染の中のボタンとLED


最初の画面は、集中している人のために作ってはならない。ユーザーがどこでその画面を開くかを、私たちは選べない。そして開く人の少なくない数が、すでに半分は別のことをしているからだ。前章で苦心して明確にした世界の答えも、受け取る人が半分しか見ていなければ、半分しか届かない。

私たちは画面を作るとき、それを見る人も自分たちと同じように、その画面だけを見ると仮定する。

企画者が最初の画面を見つめる瞬間を思い浮かべよう。静かなオフィスで大きなモニターを前にし、両手は自由で、頭の中にはこの画面のことしかない。何時間も見つめながらボタンの位置を調整し、文字の大きさを選ぶ。問題は、実際にその画面と出会う人が、そのオフィスにはいないことだ。その人は揺れるバスの中で、片手でつり革を握り、もう片方の親指で画面を操作する。隣の人の通話と停留所の案内放送の間で、降りる場所を気にしながら画面を見る。作る人は集中の果てで画面を見て、使う人は散漫さのただ中で画面を見る。

本章は、このずれから始まる。最初の体験を設計するとき、最もよく敷かれる偽の前提は「ユーザーは画面に集中している」である。そのため、ほぼすべての画面が、静かな部屋に座った人のために描かれる。だが、私たちがつかまえようとしている一般の人は、地下鉄一駅分や、エレベーターを待つ短い隙間に流れ込んできた人だ。その人にとって、私たちのゲームはYouTubeやショート動画と同じ列で、しかも半分しか見られていない間に競争する。集中した人のための画面を作れば、実際にその画面と出会う散漫な人を逃す。

もちろん、最初の起動がすべてバスの中で起こるわけではない。寝る前のベッドのように、かなり集中できる場所で初めて開く人も確かにいる。だが、ユーザーがどこで開くかを私たちは選べない以上、設計は最悪の条件に合わせるしかない。そして最初の画面と最初のセッションに限れば、そうしても損をする側はいない。散漫な人を通す画面は集中した人も通すが、集中した人だけを通す画面は散漫な人を落とす。この一方向だけに傾く非対称性のおかげで、散漫さを初期値に置くことは断定ではなく推論になる。歩道の段差を削って作ったスロープは、もともと車椅子のためのものだったが、ベビーカーを押す人や旅行鞄を引く人まで助けるようになった。最も厳しい条件に合わせた設計は、残りすべての人にも使いやすい。

この非対称性は、最初の画面で核心となる行動を見せる範囲で成立する。熟練者に必要な詳細情報まで消すべきだという意味ではない。核心を先に見せ、詳細は必要なときに開けるようにすれば、散漫な人と熟練者の要求を同時に受け止められる。

同じ画面を、静かな部屋と騒がしいバスで見る

架空のキャラクターゲームに入ろう。キャラクターを集め、会話し、短い映像を見るモバイルゲームで、最初の画面では、ユーザーが最初のキャラクターにする動物を一匹選び、色と模様を整える。静かな部屋でこの画面を見れば、何の問題もない。候補の動物が六匹並び、上部には進行段階が小さな点で示され、隅にはヘルプの疑問符と設定の歯車が行儀よく置かれている。落ち着いて見れば、すべて読める。

同じ画面を揺れるバスへ移してみる。届くのは親指一本だけで、目は画面をほんの短く見た後、窓の外を見て、また画面へ戻る。すると、六匹の候補はひと目に入らず、今どれを選んでいるのか分からなくなる。進行段階の点は小さすぎて、見えさえしない。「次へ」のボタンは画面上部の隅にあり、つり革を握る手の親指では届かない。色を選び間違えたのに、どこを押せば戻せるか分からない。その人はしばらく耐えた後、アプリを閉じる。画面が悪かったからではなく、静かな部屋の人のために描かれた画面を、騒がしいバスの人が受け取ったからだ。

MEJE IDONG WORLDでは、この散漫さがさらに強い。子犬のIDONGを世話するファンも、いつも落ち着いているわけではなく、座って画面だけを見つめる存在でもない。通知が来て、別のアプリを行き来し、指はあちこちを軽くたたく。その最中にも「今はここを押せばいい」が明確に光らなければならない。ファンがよそ見をして戻ったとき、画面が「さっき何をしていたっけ?」ともう一度問い直させてはならない。散漫なファンに対して、画面が落ち着いて一つだけを指していれば、ファンはその一つを押して次へ進む。そこでIDONG WORLDの最初のセッション画面では、右上のメニューと通知バッジをすべてロックし、親指が届く下部中央で、IDONGをなでるボタン一つだけを光らせた。別のアプリから戻ったファンには、最後に触れていたその場所から画面が再び開き、IDONGが先に顔を上げ、さっきしていたことを身ぶりで示す。

散漫な人のための三つ:今押すもの、今の状態、今の問題

注意散漫な状態を初期値に置くと、最初の画面が責任を持つべきことは三つに絞られる。今何を押すか、今どんな状態か、今何が間違っているか。この三つがひと目に入れば、散漫な人も通過する。だが、一つでも画面を探さなければ分からないなら、そこで人が漏れる。第11章の言葉に移せば、同じ画面でも散漫な人には料金が倍になる。押すものを選ぶために止まることも、どこまで進んだかを見積もることも、エラー文を考え込むことも、すべて料金だ。注意散漫な状態は、その料金を払う残高が最も薄い状態である。

第一に、今押すものが光らなければならない。画面に押せるものが十個あっても、この瞬間に押すべきものは普通一つだ。その一つが残り九つと同じ重さで置かれていれば、散漫な人は何を押すか選ぶために止まる。選択肢が多いほど意思決定が遅くなることは昔から知られており、注意散漫な状態では、その遅れがそのまま離脱になる。今押すべき一つを最も大きく、最も明るくし、親指が届く場所に置く。大きく近い標的ほど、人が速く正確に押せることも、昔から知られている。片手で揺れるバスの中から使う人にとって、画面上部の隅にある小さなボタンは、事実上存在しないボタンだ。

第二に、今の状態がひと目で見えなければならない。ユーザーがよそ見をして戻ったとき、画面は「あなたは今ここにいて、ここまで終え、次はこれです」と、尋ねられなくても伝えていなければならない。進行状況が小さすぎる三つの点で示されていれば、戻った人は自分がどの辺りにいるかをもう一度見積もらなければならず、その見積もりが料金になる。状態は小声でささやかず、大きく見せる。今何を選んでいるのか、保存されたのか、次は何かが、横目でも読めなければならない。

機械はこの仕事を、ずっと前からLEDでしてきた。ルーターや洗濯機の前面にある小さな光は、一文字も使わずに、電源が入っているか、動いているか、問題が起きたかを一色で伝える。人は通りすがりの一瞥でそれを読む。画面いっぱいに文字を書ける時代にも、機械が一つの光にこだわる理由は明確だ。その光を見る人が、機械の前に立ち止まっていないからである。最初の画面の状態表示が学ぶべき模範は、まさにこのLEDだ。進行を示す三つの点を少し大きくするより先に、画面全体が表示灯のように、一つの状態をひと目で放つようにする。

第三に、今の問題が見えなければならない。何かが間違ったとき、ユーザーはそれを読むために立ち止まってはくれない。問題はユーザーの言葉で、ひと目に見えなければならない。自動車の計器盤を思い浮かべよう。計器盤の警告灯は、通常二段階で語るとされる。エンジン点検を知らせる琥珀色の灯は「近いうちに見てほしい」を意味し、油圧や冷却水の赤い灯が点けば「今すぐ止まれ」を意味する。どちらの場合も、運転者は酸素センサーの電圧が基準を外れたという説明を読まない。その時間も必要もなく、一つの色が問題の存在と緊急度まで即座に伝える。最初の画面のエラー表示も、こうあるべきだ。何が、なぜ、どのように間違ったかを長く説明する灰色の文字より、今どこが問題かを指す明確な信号一つの方が、散漫な人にはよい。計器盤の二段階のように、今止まるべき問題と、後で見てもよい問題を色と重さで分ければ、なおよい。説明は立ち止まった人のためのものであり、信号は通り過ぎる人のためのものだ。

この文は格言として読み流すのではなく、道具として使える。最初の画面に載っているすべてのテキストを、二つのどちらかに強制的に分類してみよう。通り過ぎる人が横目で受け取る信号か、立ち止まった人が読むべき説明か。説明に分類された文は、それを読むために進んで立ち止まる人が来る場所へ移し、最初の画面では説明ゼロを目標にする。無理な目標に聞こえるが、自分の画面のテキストを数えてみれば、信号のつもりで入れた説明がいくつあるかから明らかになる。

三つすべてを貫く原則が、ユーザーの語彙で話すことである。画面に現れるすべての言葉は、それを作った人の言葉ではなく、それを読む人の言葉でなければならない。「同期に失敗しました」は作る人の言葉であり、「保存できませんでした。もう一度試しますか?」は使う人の言葉だ。注意散漫な状態では、もう一度考え直さなければならない言葉は読まれず、横目の一度で意味が刺さる言葉だけが生き残る。

ゲーマーの情報、一般の人のノイズ:ミニマップと詰め込まれたHUD

注意散漫な状態を扱う章なので、ゲームの慣習を一つ検問所に立たせる。画面の端を隙間なく埋める習慣だ。ミニマップ、クエストマーカー、ぎっしり詰まったHUD、そしてあちこちに赤く付く通知バッジ。あらかじめ言っておくと、「一度に多く」を狙う検問は本書に三度登場する。本章が見るのは読み取りのノイズであり、一度に多くの課題を背負わせる過負荷は第19章が、一度に長い説明を前払いさせる問題は第21章が別に扱う。

まず、この慣習が何を当然と前提にしているかを見る。ゲーム画面の四隅は普通、情報で埋め尽くされている。左上に体力と資源、右上にミニマップ、画面の至る所にクエストマーカーと次の目標を示す矢印、メニューアイコンごとに新しい知らせを示す赤い点。この密度は、ゲーマーが一画面で多くの情報を同時に読むことができ、また読みたいという前提の上に立つ。この前提は、アクションゲームや戦略ゲームの長い伝統から育った。情報が多いほど上手に扱える人にとって、空の画面はむしろ情報不足の画面だ。

一般の人は、この前提を共有しない。ゲーマーにとってミニマップは道を読む地図だが、初めて来た人にとっては、画面の隅で点滅する正体不明の絵だ。クエストマーカーはゲーマーには「そちらへ行け」という親切な案内だが、一般の人には、画面のあちこちに散らばる正体不明の感嘆符である。赤い通知バッジはゲーマーには「確認すべき新しい知らせがある」という信号だが、ほかのアプリで赤い点に追い立てられてきた人には、また一つの借金の催促に見える。同じ要素が一方には情報で、もう一方にはノイズだ。注意散漫な状態では、読み方の分からない情報がすべてノイズとして積み上がる。

この密度が度を越したという不満は、ゲーマーの間でも昔から出ている。ある大規模なオープンワールドシリーズは、地図を開くと数十個のアイコンが画面を覆うことで知られるようになった。その上に点滅するミニマップとコンパスまで加わり、肝心の世界は後回しになったと言われたという。一方では、空の画面をわざとアイコンで埋め尽くし、その習慣を皮肉るファンの合成画像も出回った。画面を埋める惰性が、ゲーム界の中でも冗談の種になったということだ。ゲーマーでさえ過剰だと感じる密度なら、それを読む方法すら知らず、揺れるバスで出会った一般の人については、言うまでもない。

この慣習が一般の人に課す料金は、情報過多だ。散漫な人はもともと画面に半分しか集中していない。その半分の注意力を、読み方も分からず、今は必要でもない十個余りの要素が分け合うため、今押すべき一つがノイズに埋もれる。画面が満杯だということは豊かだという意味ではない。今重要な一つがどこにあるか分からなくなったという意味だ。ゲーマーはこの密度をかき分け、自分に必要な情報を選び出すことに慣れているが、一般の人にとっては、その選別自体が料金になる。

本質だけを残して変える。最初の画面では端を空け、ミニマップ、マーカー、バッジは、それを情報として読める人が来て、本人が探す瞬間にだけ一つずつ点ける。初めて来た人の最初の画面には、今押すもの一つ、今の状態一つ、そして問題が起きれば問題一つ。それ以外はすべて消す。道を示す必要があるなら、ミニマップではなく、行くべき場所を画面中央の世界に直接見せる。新しい知らせがあるなら、赤い点ではなく、ユーザーが一息ついた後に一度だけ話しかける。空けることは情報を奪うことではない。散漫な人の半分しかない注意力を、今最も重要な一つへ集めることだ。画面が寂しく見えることを恐れて埋めたものが、実はその人を追い出していた。

▶ 自分の画面に当てはめる三つの問い

  1. この画面は、片手と揺れとノイズの中でも読めるか。
  2. 最も重要な一つが、散漫な中でも見えるか。
  3. 音を切っても伝わるか。 三つのうち一つでも詰まれば、その画面は静かな部屋に座った人しか通さない。

だから、画面を描く前に、その人が立つ場所を描く

注意散漫な状態を初期値に置くと、最初の画面を描く順序が変わる。画面を先に描いて「ここに何を足そうか」と尋ねる代わりに、その画面と出会う人が立つ場所を先に描く。その人はどこにいるか。自由な手はいくつあるか。音は聞こえるか。目は何秒とどまるか。その場所を定めれば、画面が責任を持つ三つ、すなわち今押すもの、今の状態、今の問題が自然に絞られ、残りはすべて後回しにするか消せる。

この決定が正しかったかは、計器盤で確認する。最初の画面を開いた人のうち、どれだけが最初のボタンまで到達するか、ためらって出ていく人がどこで止まるかを見ることが出発点だ。だが、この比率一つだけでは、一般的な離脱指標にすぎず、散漫さという仮定そのものを測れない。仮定を測るには、同じ画面を時間帯とセッションの文脈ごとに分けて見る。通勤時間帯の初回起動と、寝る前の初回起動が同じ場所で詰まるか、違う場所で詰まるかを比べる。アプリを離れて戻った人が、していたことをすぐ続けるか、最初からまた迷うかを見る。散漫な時間帯だけで特に人が漏れ、戻った人が迷うなら、その画面は今押すものを十分に光らせていないか、状態を十分大きく見せていないという信号だ。静かな部屋で自分たちだけが見れば問題のない画面が、揺れる手ではどこで詰まるかを数字が照らし出す。最初の画面のテストは、大きなモニターの前ではなく、片手に持って歩きながら行うべきだ。

参考コンテンツ

本章の概念が表れる、ほかのメディアの事例。

ビデオゲーム

  • 『アサシン クリード』と『ファークライ』の塔登りと疑問符埋め:高い塔に登ると周辺地図が開き、同じ活動のアイコン数十個が一度に並ぶ。プレイヤーは世界を見る代わりに、地図から疑問符を消すことばかりする。密度が高すぎるという批判が長く積み重なり、『アサシン クリード シャドウズ』では、ぎっしり並んだ活動アイコンを取り除き、何があるかを自分で探しに行くよう変えたとされる。
  • 『ELDEN RING』の黄金の導き:ミニマップで画面の隅を埋める代わりに、祝福から次に進むべき方向へ黄金の筋が伸び、画面中央の世界の中で次の一歩を直接示す。画面の端を空けた反対事例として、よく挙げられる。
  • 『Dead Space』の背中に刻まれた体力バー:画面に別の体力数字やバーを出さず、主人公のスーツの背骨に沿って光る一本のバーで状態を示す。余裕があれば青、半分以下なら黄、死に近づけば赤が点滅し、横目でも今の状態が読める。 機械装置/家電UX
  • 自動車の計器盤の警告灯:酸素センサーの電圧がどうなっているかを説明せず、色で語る。琥珀色の点検灯は「近いうちに見てほしい」を、油圧や冷却水の赤い灯は「今すぐ止まれ」を伝えるとされる。緊急度まで一色で分ける、二段階の信号だ。
  • 家電の状態表示灯(電源・動作・エラー):今電源が入っているか、動いているか、問題が起きたかを、一つの光の色で、横目でも読めるようにする。

残りの参考コンテンツは本文末の「第16章付録」にまとめた(単行本では付録Dに収録する)。


設計ノート ▶ 自分で試す

ゲームの最初の画面をスマートフォンに表示する。そして席を立ち、片手だけで端末を持ち、部屋の中を歩きながらその画面を使ってみる。できれば音楽や映像を隣で流す。

歩きながら三つを声に出して確認する。今、自分が何を押すべきか、ひと目で見えるか。今どこまで進んだかを横目で分かるか。もし何かを押し間違えたなら、何が間違ったかがひと目で見え、ユーザーの言葉で書かれているか。

一つでも立ち止まって画面を探さなければならなかったら、その場所を書き留める。そこで散漫な人が漏れる。画面の端に付いたもののうち、今初めて来た人が読み方を知らないもの、または今必要でないものに、一つずつ取り消し線を引く。線を引いたものは最初の画面で消し、それを情報として読める人が来るまで後回しにする。精密な点検は、付録Bの体験料金表と付録Aの慣習解体チェックリストへ続く。

大きなモニターの前で問題のない画面は、揺れる手でもう一度試す。片手に持って歩きながら通過できた画面だけが、散漫な人も通過させる。

一行要約:ユーザーは静かに集中しているのではなく、散漫さとノイズのただ中にいる。最初の画面は、その散漫な人のために、今押すもの、今の状態、今の問題という三つを、ひと目で、ユーザーの言葉で見せなければならない。ゲーマーには情報であるミニマップ、マーカー、詰め込まれたHUD、通知バッジも、初めて来た人にはノイズだ。最初の画面の端を空け、今重要な一つへ注意を集める。 次章:散漫な人は、きっと何かを押し間違える。そのとき画面がどう答えるかが、その人を引き留めもすれば、追い出しもする。次は、その間違いの瞬間を見る。失敗は防ぐべき敵か、それとも楽しさの一部か。そして、間違えた人からコントロール感を奪わない方法とは。


第16章付録:参考コンテンツ集

ここに集めたのは、ユーザーが散漫さのただ中で画面に出会うという本章の前提が、さまざまなメディアと機械でどう扱われているかを示す参考事例である。ビデオゲームから放送、印刷物、現実の案内体系まで、メディア別の小見出しでまとめ、各項目の末尾に「見るべき点」を付けた。本文が立てた区別、すなわち、通り過ぎる人が横目で受け取る信号と、立ち止まった人が読む説明の区別、そして最悪の条件に合わせた設計が残りのすべての人を助けるという非対称性を念頭に置けば、事例ごとに何を信号として残し、何を説明として後回しにしたかが見えるだろう。今押すもの、今の状態、今の問題という三つの責任のうち、どれを担う装置なのかを見分けながら読むと、さらによい。

ビデオゲーム

  • たまごっちの呼び出し音と注意アイコン:1990年代半ばに登場した携帯育成機器で、空腹や世話の必要があると、短い呼び出し音が鳴り、画面の隅の注意アイコンが一つ点灯する。何がなぜ必要かを長く説明せず、一つの信号で「今、私を見て」と伝える。散漫なまま別のことをしていた人も、その一信号で戻ってくる。見るべき点:信号はポケットの中まで追いかけて呼ぶことだけを担い、説明は機器を取り出して見た後に行うという分業を見よう。信号と説明の分離が、一つの機器全体に実装されている。
  • MMORPGの詰め込まれたHUDと赤い通知バッジ:ゲーマーには情報だが、初めて来た人には読み方の分からないノイズが一度に積み上がる画面である。見るべき点:同じ画面が、読み方を知る人には情報で、知らない人にはノイズになる非対称性を見よう。読み方を学ぶ前の目で自分の画面を見直す訓練材料になる。
  • Candy Crushの単純な最初の画面:今押すもの一つだけが大きく光り、よそ見をして戻っても、何をすべきかがすぐ見える。見るべき点:「今押すもの」が光る画面の典型として見よう。よそ見から戻った人がためらわず次の動作へ進めるかどうかが、この設計の成績表だ。
  • 『風ノ旅ビト』(2012)のHUDがない画面:体力数字も地図もスコアもなく、キャラクターが巻いたスカーフの長さと輝きが、飛行できる余力を示す。見るべき点:状態表示を画面の端の計器から、世界の中の物体へ移した事例として見よう。画面全体が表示灯のように一つの状態を放つべきだという本文のLEDの話と同じ性質である。

実写映画

  • アクション映画の慌ただしい高速カット編集:あまりに多くを同時に見せると、観客は肝心の一場面を見落とす。見るべき点:情報量を増やすほど伝達量が減る逆説を見よう。よくできたアクションは、最も重要な動作の直前に、むしろ画面を整理して視線を一か所へ集める。

実写テレビ/ドラマ

  • ニュース画面のぎっしり詰まった字幕帯と速報バー:情報を満杯にするほど、横目で見る人にとって今重要な一行が埋もれる。見るべき点:チャンネル側から見れば、すべてが重要な情報だという点が罠であることを見よう。送る側の重要度と、受ける側の注意力は、異なる単位で動く。
  • 通販番組の価格・字幕・電話番号で埋め尽くされた画面:散漫に見る視聴者のために、買う理由一つだけを大きく表示するところもある。見るべき点:同じ散漫な視聴者を前に、埋め尽くす戦略と空ける戦略が分かれる現場として見よう。どちらが視聴者の状態をより正確に前提にしたかを比べるとよい。
  • スポーツ中継のスコア表示:画面の隅に得点と時間、またはイニングが常に表示され、途中から見た人も、一度の横目で状況に追いつける。この常時表示は、1990年代の中継で定着したとされる。見るべき点:「今の状態」を尋ねられなくても伝える装置の原型として見よう。いつ合流しても追いつける設計は、よそ見をして戻ったユーザーを受け入れる画面と同じ働きをする。

漫画

  • 漫画の集中線:一コマの中で一つの点へ線を集めて描き、読者の目を今見るべき一か所へ引き寄せる。コマ全体を同じように描かず、最も重要な一か所だけに視線を集める、紙の上のスポットライトだ。見るべき点:一つを光らせるには、残りを抑えなければならないという原則が、紙の上でも同じであることを見よう。すべての要素を同じ重さで描いたコマには、集中線が入る場所がない。

音楽

  • 店舗や空港のBGMと案内放送:人が半分しか聞かない環境なので、本当に重要な案内は短い信号音と一文だけに区切って伝える。見るべき点:半分しか聞かない人を前提に、信号音一つと一文へ減らした構成を見よう。重要な案内ほど長くなるのではなく、短くなることが核心だ。

演劇/劇場

  • 舞台照明のスポットライト:舞台全体を明るくせず、今見るべき俳優一人だけに光を集め、観客の目を引く。見るべき点:照らすことと暗くしておくことが一組だという点を見よう。最初の画面で何を消すと決めたかが、その画面の照明設計である。

実物のアーケードマシン

  • ゲームセンターの大きなボタンと点滅する「INSERT COIN」:騒がしく落ち着かない場所でも、今すべきこと一つが大きく光るようにした設計である。見るべき点:ノイズと競争が最悪の環境で鍛えられた、信号の大きさ、点滅、位置を見よう。静かなオフィスで描いた画面を、ゲームセンターの真ん中に置く想像が、よい点検になる。

現実の業務手順

  • 航空機客室の非常口誘導灯とピクトグラム:動揺した人のために、文字ではなく一つの図形信号で、今行く場所だけを指す。見るべき点:動揺という最も強い注意散漫な状態に合わせた設計が、平常時のすべての人にも読めるという非対称性を見よう。スロープの原理は、安全設計ではずっと前から常識だった。
  • 病院や空港の色による動線案内:複雑な道をすべて説明する代わりに、床の色線一本だけをたどらせ、迷わないようにする。見るべき点:地図全体を覚えさせる代わりに、次の一歩だけを連続して与える方法を見よう。説明を減らすのではなく、完全になくして信号だけを残した事例だ。
  • 地下鉄路線図の点から点へ:実際の地形を捨てて直線と色線だけを残し、今いる点から行きたい点まで一色だけをたどればよいようにした。この方法は、1930年代のロンドン地下鉄のダイアグラム式路線図に由来するとされる。見るべき点:正確な地形情報を捨てる決定が、情報を奪うのではなく注意を集めることだと見よう。何を捨てるか決めた分だけ、信号は明確になる。

一般アプリ

  • カーナビの次の一回の案内:経路全体を表示する代わりに、「次を右折」一つだけを大きく見せ、運転中でも読めるようにする。見るべき点:システムが知っていることと、今見せるべきことが違うという節度を見よう。経路全体を持つシステムが、運転者には次の一回だけを語る。
  • 片手モードと下部の大きなボタンを備えたアプリ:揺れる場所で親指が届く位置に今押すものを置き、上部の隅のボタンを存在しないボタンにしない。見るべき点:届かないボタンは事実上存在しないという本文の文を、手で確認しよう。片手でスマートフォンを持ち、自分の画面のボタンを一つずつ押せばよい。
  • Google検索の空いた最初の画面:白い背景の中央に検索欄一つだけを置き、初めて来た人も、今何をすべきかひと目で分かる。周囲の空間は空なのではなく、視線をその一つへ集める装置だ。見るべき点:空けること自体が機能だと見よう。画面が寂しく見えることを恐れて埋めたい衝動を、どこまで抑えられるかの見本である。
  • 人の言葉に書き換えたエラー画面:「Error 404」のようなコードではなく、「お探しのページはありません。最初に戻りますか?」のように、読む人の言葉で書くところが増えた。作る人の言葉はもう一度考えなければならないが、使う人の言葉は横目でも一度で届く。見るべき点:信号と説明を分ける本文の基準で、文をもう一度読もう。横目で意味が伝われば信号、考え込む必要があれば説明だ。
  • 配達・タクシーアプリの一行の状態表示:「調理中です」「ドライバーが向かっています」のように、今の段階一つだけを大きく表示し、詳細は押すまで折りたたんでおく。見るべき点:横目で確認して、また別のことへ戻る利用パターンを、そのまま前提にした状態表示として見よう。ユーザーが画面を見張って立っていないという仮定が、文の単位まで降りている。
  • 動画アプリの「続きを見る」:見ていた作品が最初の列に現れ、止めた場面から続けて再生できる。見るべき点:よそ見から戻った人に「さっき何をしていたっけ?」と尋ねさせない装置として見よう。戻った人がしていたことをすぐ続けるか、最初から迷うかが、本文で勧めた指標である。

機械装置/家電UX

  • 航空機のコックピットのマスターコーション灯とマスターワーニング灯:どの系統で問題が起きても、操縦士の視野に置かれた大きな灯が、まず「今見るべきだ」と伝える。一般に、即時対応すべきことは赤いマスターワーニング、点検すべきことは琥珀色のマスターコーションが担う、二灯構成とされる。どの部品が、なぜ、どうなったかは次のパネルで確認し、最初の信号は色と点滅だけだ。見るべき点:まず注意を引き、内容は次の段階へ任せる二段階の分業を見よう。最初の信号が説明まで背負おうとしたとき、何が崩れるかを逆に推測できる。
  • iPhoneの消音スイッチ:長い間、側面の物理スイッチだったため、画面を点けなくても、スイッチの上下位置を指先で触れて、消音かどうかが分かった。少し見れば、露出したオレンジ色でひと目に確認できた。最近の機種では、押すボタンに変わった。見るべき点:一つの状態を、触覚と横目という二つの経路で読ませた設計を見よう。画面を点けることさえ料金だという感覚が、ハードウェアに刻まれている。
  • スマートウォッチの経路案内の左右で異なる振動:手首端末の経路案内は、左折と右折で異なる振動パターンを鳴らし、画面を見なくても、どちらへ曲がるか分かるようにするとされる。見るべき点:目が道に縛られる最悪の条件で、信号の経路を触覚へ移した設計として見よう。信号は感覚を乗り換えられる。最も忙しい感覚を避けて伝わる信号が生き残る。
  • 炊飯器と洗濯機の完了メロディー:炊飯や洗濯が終わるとメロディーが鳴り、別の部屋で別のことをしていた人にも、終わったという事実が届く。見るべき点:ユーザーが機器の前にいないという前提を、そのまま受け入れた設計として見よう。本文の「その画面だけを見ていない」の家電版である。